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ふりかけ

暑くなってきましたね。さすがに秋田にも、夏がやってきました。信じられないかもしれませんが、ついこないだまで夜はストーブを焚いている日もあったんですよ。さて、今回は久しぶりにレシピの紹介です。前にも書きましたが、私はほとんど毎日食事を作っています。朝は簡単に、夜はもうほとんどお酒は飲んでいないのですが、昔からの習慣でご飯は食べないので、ノンアルビールか一杯のワイン、もしくはごく薄い焼酎割のあて(ここだけ関西弁か)です。きょうは、朝ご飯のための簡単で美味しく日持ちのするメニューを紹介します。


ふりかけ2 

                 (写真右のハーブソルトの作り方はこちら


用意するものは、ちりめんじゃこ、油揚げ一枚、シャケフレーク、基本はこの3つです。フライパンを温めて油を引かずにこの3つを炒めます。お好みによっては白ごま、彩りでお好み焼き用の安いサクラエビを入れてもいいでしょう。写真は、栄養のバランスも考えてにらの茎の固い部分も入れてみました。油揚げが、カリカリになってきたら出来上がりです。簡単でしょ。調味料もなしです。これをごはんにかければ、食欲のない夏も乗り越えられること間違いなし、以上です。


今回はなんかあっさりしてるって。それは、Amazonプライムデーが近くなって忙しいんですよ。そこで、この読者にも朗報です。Amazonばかりじゃ申し訳ないので、2年ぶりにアウトレットセールを始めます。商品は、撮影に使ったり、見本でちょっと出したりしたもので新品そのものです。ほとんどが、50%offで、売り切れ御免の限定販売です。こちらから、アクセスください。それでは、また。


勘違い

人間、勘違いはよくある話です。時としては、致命的な読み間違いで、後々までバカだねと人の記憶に残ったり、常識を疑われたりと、取り返しのつかないことになったりします。かくいう私も、多分中学生くらいのとき、カタログをカタグロと覚えてしまいました。カタグロと口に出すとき、なんとなくエロっぽい感じがして、ちょっと赤面したものです。友人に指摘されてカタログという言葉を知ったのが20才くらいの時ですから、ずいぶん長い間恥を書き続けたことになりますね。その手の間違いは、多分今でもあるかもしれませんね。

子供たちがまだ小学生の頃ですから、ずいぶん前のことになりますが、珍しく私が家にいた休日『どっか連れてって』とせがまれました。年に、2,3回しか休日に家にいない頃でしたので、ネットで調べアイススケートでもやりに行くかということになりました。実は、私スケートはちょっと自信があったんですね。高校生の頃、たまにデートでスケートに行っていましたから。スケートって下手な人と行くと、どうしても手をつないだり、背中を支えてやったり、時には転びそうになったら抱きかかえたりと高校生にとっては、とても美味しい遊びなんですね。ですから、1人で練習したりひそかに努力も重ねていました。さて、そんな話はさておき。

江戸川沿いを子供2人を乗せ、江戸川区の区立スケート場についた私たちは、靴を借り、念のため手袋を子供たちにはめさせ、リンクの前に立ちました。私のイメージとしては、仕切りの衝立から顔を出している子供たちの前で、スゥと銀盤の上に降り、軽く1周して勢い良く帰ってきてシューと停まり、さあパパが教えよう!という段取りを考えていました。ところが、スゥと銀盤に降りたのはいいのですが、あれっとなってしまいました。コーナーを足をクロスして回るどころか、怖くて足が動かないんですね。よく自転車や水泳は一度感覚を覚えるとずっと忘れないものといわれているので、スケートもそんなもんだと思っていたんですね。なんとか必死に父親の威厳も忘れずに手すりまで戻ってくると、子供たちも何かを察したのかリンクに降りて我流で滑り始めました。滑っては転び、滑っては転びを繰り返し、1時間もしたら、1周を転ばずに滑れるようになっていました。私は何をしていたかって。10分くらいかけて手すりを磨きながら1周して、あとはリンクから上がってしまいました。大人は、転ぶのが怖いんですね。長々と書きましたが、これも思い出に残る勘違いです。ついでに書くと、子供をプールに連れてったとき、軽くクロールで流して泳ごうと思って、プールに飛び込んだら『おぼれたのかと思った』と、言われました。それ以来、平泳ぎ以外は泳いでいません。というより、この20年くらいは泳いでいないですね。こう思い返すと、勘違いも多いですよね。

書いてるうちに次々と出てきます。これは、バブルの終わりの頃、カリスマ美容師がブームになっていました。私の仕事のパートナーだったO女史の名言です。『カリマスなんてムズシが走るぅ』このくらい堂々とした言い間違いは、むしろ心に残ります。彼女は、1年間のアジア放浪の旅から帰り、私と出会って12年ほど仕事をし、今度は10歳年下の彼氏(東大卒)を連れて、ヨーロッパへ旅立ちました。行動に勢いがあり、人望もありました。しばらくして彼女からハガキが来ました。『お気元?今、モロッコです!』いくらなんでも元気を間違えるのかと思いますが、勢い余ってアフリカまで行っちゃったんだと、おもわず笑ってしまった思い出があります。豪傑だったなあ、Oちゃん。


私の店長日記

私がこの店長日記を書き始めた時に、これだけは書くまいと心に決めたことがひとつあります。それは、あまりにもプライベートなことです。子どもの学校の運動会がありましたとか、みんなで花見に行ってきましたとか、読みたくもないでしょ。ですから、最初のうちはハーブを使ったレシピやハーブにまつわるエピソードなどを書いていました。特に、ペット(うちはネコ)の話題は、私だけが面白くて、読者には何の関係もないことなので絶対書くまいと決めていました。最初に書いた『ネコの好きなハーブとは?』も、一応ハーブについて書いているので、ぎりぎりセーフですよね。


1年くらいしたら、またネコのことを書きたくてしょうがなくなってきました。そこで書いたのが『ネコのキャラ弁』です。ここまで来たら、もうショップとも、ハーブとも何の関係もありません。ネコがかわいいというだけのことなのですが、この頃はまだ店長日記の体を保っていました。読者に有益なハーブの情報を提供する、という店長日記の趣旨からはちょっと外れてはいたのですが、店長の生真面目で誠意にあふれた一面をみせてショップの売り上げに繋げるという目論見があったからです。だんだんこの目論見から外れていったのが、オープンして1年半くらい経ってからでしょうか。売り上げを分析して見ると、店長日記の読者と、実際に買っていただくお客さまとには何の因果関係もないということに気づいてからでした。私の人柄に感心して買ってくれたのかなとうぬぼれていたら、買ってくれるお客さまのほとんどは店長日記なんか素通りです。そこで、いったん店長日記をやめて、新店長日記でやり直しました。内容も、『ルイボスティー』や『エルダーフラワーのコーディアル』など、ハーブに関するものだけにしました。ところが、今度は読者が激減しました。ハーブに関心のある人が読んでくれているのかと思ったら、どうもそうではなかったようで、みなさん単に暇つぶしで読んでいただけなんですね。100人も読者がいるといっても、日本人の100万人に一人が読んでいるってことですもんね。(ブルゾンみたいになってしまいました)よし、もう好きなことを書こう、ハーブも売り上げも関係ない、と開き直ったのが、ちょうど2年前くらいでしょうか。こうして、ハーブとは全く関係のないエッセイ風の店長日記に変わっていきました。


ノン窓際2 


そして1年前に書いたのが、『ネコの決意』です。4年前に秋田に連れてきたノンスケ(本名ノア)は、いつの間にか人生の相棒になりました。愛猫の半生を長々と書くなんて、最初の志とは真逆ですよね。プライベートの極致です。私がどれほど、ノンスケを信頼し頼りにし愛しんでいるか、これを読んでいる方には全く関係のないことですからね。でも、ちょっとおバカな猫ほど可愛いもので、誰かに伝えたくてしょうがないんですね。


秋田に来て4年、ネットショップを始めて3年半。私は、ついにこの仕事を続けていくことを決心しました。ノンスケが、2ヶ月でこの地に馴染もうと自分を変えていったのと比べると、ずいぶん往生際の悪いことです。人生七転び八起きっていいますが、私の人生は今のところ7勝8敗です。小さくてもいいから、これから花を咲かせられるのか、自分に賭けてみようと思っています。硬軟織り交ぜ、これからも、店長日記でみなさまに報告していきます。お付き合いの程、よろしくお願いいたします。

新人研修

今週は、入学式、入社式真っ盛りですね。初々しい新人が、張り切っている姿を見るのは、心が洗われるようでこちらもうれしいものです。かくいう私も、新人時代がありました。私の人生で、唯一カタギのサラリーマンの2年半です。思い出しつつ、ちょっと書いてみたいと思います。


私が大学を卒業して初めて勤めたのは、神保町にある広告代理店です。東京と大阪に自社ビルを持ち、全ての媒体を扱っていましたが、まあ中の小くらいの会社でしたね。入社試験は、当時神保町の交差点の角にあった第一勧銀(岩波ホールの隣)の会議室でした。自社ビルが、ちょっと古いのでカッコつけたんでしょうね。それくらい気合を入れた新人採用でした。私の前の新人と言えば、2年前に入社したK大出身のMさんだけです。その年は、2人採用でしたが、私と同じ大学の1人が辞退し、結局私1人が入社することになりました。その会社で、新卒の生え抜きは私とMさんの2人。一応、小さな会社のエリートです。社長が張り切って『新人研修をやろう』と言いだしました。当然先生は、Mさんです。こうして、私とMさん(いいづらいので今後Mちゃん)のたった2人の新人研修が、行われることになりました。


千葉県岬の会社の別荘で合宿が、始まりました。今考えると、Mちゃんの講義は、実に綿密で、しかも理にかなった周到なものでした。とても、27歳の青年が考えたものとは思えないものでした。(いい忘れましたが、新卒とはいってもMちゃんも私も2,3年回り道してました)まず、教えてくれたのが、会社の概要。会社の席順、卒業大学と学部、年齢、家族構成、趣味嗜好、出身地、長所に短所、そして社内相関図まで、事細かにしかも図を書きながら教えてくれました。そのあとは、砂浜に出てランニングです。2人で一緒に裸足で走りました。息をつく暇もなくうさぎ跳びです。広告代理店は、体力が勝負だ!と、へとへとになるまで、汗を掻きました。そして、ポケットから卵を出し、栄養補給だ!といって生卵をパカッと口の上で割り、飲み込みました。私も当然生徒ですから、しょうがなくネトッとした卵を飲み込みます。そして休憩してから座学だ、走って帰ろう、と言い、走り始めると、しょうがなく私も付いて走ります。なにしろ2人ですから、休む間もありません。几帳面な受験生の予定表みたいに、1日のスケジュールがぎっしり詰め込まれていました。ありがたいことに、そこで私は広告代理店という仕事を理解することができました。媒体、営業、制作とは何か、という基礎知識から、オリエン、プレゼンとは何か、具体的にはどうするのかまで、2人きりでずっと教えてくれました。当時は、Mちゃんが社会人の基本形のように考えて、そのまねから色々覚えていきましたが、今考えるとMちゃんってすごい人だったんだとつくづく思います。企画書の書き方は、その後30年役立ちました。ちょっとした提案書から、銀行への借金の申込書まで、ほとんど全てのビジネス文書はその時に習った書き方の応用です。夕方講義が終わると、さあおしまい、次は遊ぼう!とメリハリの効きすぎた切り替えで、夜の時間に入ります。Mちゃんは、極端にすべての面で奥手でした。ですから、遊ぶといっても、主に私の歌舞伎町界隈の武勇伝の聞き役です。Mちゃんは、いちいち相槌を打ち、メモでも取る勢いで熱心に聞いてくれました。こんな感じで、3日間の研修が終わりました。


海岸を走る男 

写真はイメージです


その会社では、本当にかわいがってもらいました。毎晩、9時くらいになると、誰かが、さあ行くぞと声をかけて飲みに連れていってくれました。1年目は、Mちゃんの下に配属され、使いッパシリです。1面六割(新聞1面の記事下雑誌広告面)に全ての地方紙に広告を出すクライアントがいて、掲載紙を取りに行くのが私の仕事でした。地方紙の支社はほとんど銀座ですから、端から端まで何十部の新聞を抱え駆け足で駆けずり回りました。届ける原稿は、写植を切り張りした版下か、新聞社の場合は凸版もまだありました。そんな時代です。昼ごはんを食べる時間を惜しんで、自分に与えられた仕事をこなしました。この経験が、その後の人生のすべての基本になりました。社長は、2年目の私に中野に1軒家の社宅を用意してくれました。そのくらい期待されていたんです。でも、たった2年半で、その会社を辞めてしまったんですね。


その後、Mちゃんが会社をクビになったという話を聞きました。腕試しで、1人で雀荘に入り浸っているうちに、そっちの道に行ってしまったとか。きちんとした会社員になるためにあんなに真剣に新人研修をした2人が、何年か後には道を外してしまったんですね。おそらく2人とももう取り返しのつかない年齢になってしまいました。それもまた人生ですね。

エクスプレス便、開始です!

先週、宮城県の秋保温泉に行ってきました。結構豪華な旅館に泊まって、露天風呂を楽しんだり、滝を見にいったり、仙台では牛タンを食べたり、大変面白かったのですが、みなさんあまり興味ないですよね。マルサのおじさんの回で書いたように、人の面白かった話はだいたい読む方にはつまらないものです。でも、今のところ特別書くような失敗談もないので、今回は以前から書こうと思っていたAmazonについて書きたいと思います。


Amazonは、みなさんご存知のように、楽天、Yahoo!ショッピングと並んで巨大なネットモールの一つです。お店の違いは、Amazonは同じ商品は一つのページに掲載されているので値段が勝負のところがあり、楽天とYahoo!は、テナントのように各店が商品を並べているのであちこちに同じ商品が陳列されていて、お客さまはその中から選ぶことになります。当店は、AmazonとYahoo!に出店していますが、圧倒的にAmazonが良く売れます。ブレンドティーというのは、唯一の商品なんですね。だからライバルがいないんです。例えば、全く同じ配合でくつろぎ茶という名前のブレンドがあったら、ブランド力もありますがやはり値段が勝負のような気がします。でも幸いにして、くつろぎ茶という名前はおそらく当店だけなので、Amazonでよく売れるのですね。逆に、Yahoo!はほとんど売れません。同じ理由で、楽天ははなから出店していません。果林のブランド力がまだ弱い、ただそれだけの理由です。なぜこんな内輪の話をわざわざ披露しているかというと、みなさんにぜひ知っておいていただきたいことがあるからなのです。


Amazonロゴ  VS 


果林とAmazonは、全く同じ商品を扱っています。それなのに、売り上げに大きな差がついてしまいました。逆に言えば、Amazonで食べさせていただいているともいえるのですが、なんか釈然としないところもあります。Amazonのポイント制には参加していませんが、果林には5%というかなり高額なポイントを付けています。割引セールや新商品のお知らせも、頻繁にしています。むしろAmazon最大の武器のプライム商品は、Amazonから直接送ってもらうのであらかじめ1か月ほど前にAmazonに納品しますが、果林はその場で作ってすぐに送るので新鮮です。どう考えても、当店から直接買ってもらった方がいいじゃんと思いませんか。悔しいことに、Amazonにはそれだけの安心感があるんでしょうね。まだまだ修行不足です。ただ、果林から直接買うメリットは、それ以外にもあります。例えば、私と直接お話しした方は多いと思いますが、ネットが苦手な方でも電話で相談に乗ったり、試し飲みしたいときは喜んでサンプルを同梱したり、プレゼントは日にちを合わせて送ったりときめ細やかなサービスが期待できます。だってそうでしょう。同じ商品を売るとはいえ、わざわざ私の店まで買いに来てくれるお客さまには、特別の思い入れがあるからです。


そこで、Amazonに負けないサービスを開始します。果林エクスプレス便(1200円以上)です。なんだ、Amazonのマケプレと同じじゃないかとお思いの方もいらっしゃると思いますが、上記のメリット以外にもサプライズを用意しますよ、お楽しみに。商品の横にエクスプレスのロゴがあるものは、基本的に当日10時までの注文で当日発送、翌日着(関東圏)です。遠方の方も、宅急便と同じです。ただし、ネコポスで発送しますので郵便受けへの配達になります。値段が1200円に満たなくても合計額で計算しますので、ご安心を。開店以来の大英断(自分でいうのもなんだけど)です。ぜひ、ご利用ください。


3月19日の発送から開始です!


されど、われらが日々。 -1990年代

何気なく朝TVを見ていると、見覚えのある顔が。あれ、たしかG君かなと思っていると、確かにG君でした。秋田のローカル番組のことです。20年近く前、私の舞台に出演していたダンサーの1人です。今は、番組のコメンテーターとして活躍しているらしく、立派なおじさんになってそれらしくMCに相槌を打ったりしていました。大したもんだねと感心しながら、昔一緒に仕事していた人が頑張っている姿を見ると嬉しくなりましたね。


20年という年月は、若者をおじさんにし、おじさんを初老のちょっとくたびれた男にします。まさか、20年後にハーブ屋を営んでいるとは夢にも思いませんでした。あの頃は、私の周りの若い連中はみんなダンスにかかわる仕事に就きたく努力していました。ダンス教室の生徒だけでなく、ダンスを教えている者たちも、夜中の12時過ぎにはスタジオに集まり、朝方まで練習に励みました。冬でも、冷房をガンガンにつけ湯気が上がるような熱気です。舞台が近づくと、開け放たれた女子更衣室にミシンが並び、衣裳の製作に入ります。あの強烈なエネルギーは、何だったんだろうと今は思います。小屋(劇場)に入り、ゲネプロ(最後の通し稽古)を終えた時、みんなを舞台上の上におき、全員で舞台の成功を祈り黙とうをささげました。あの一体感は、私の独りよがりかもしれないけれど、演出家冥利に尽きるものでした。舞台に使う映像のためのロケ、パンフレット用の写真撮影のロケ、スタッフに無理をさせたセリや回り舞台を使った演出、特効、すべてを同時進行で行います。出演者だけでなくスタッフも含めて、本番という一つの目標に向かって全てを擲って突き進んで行きました。あの頃が懐かしいなんて言う気はありません。ただ、あれほどの濃密な時間を過ごせたのは私の人生の宝です。3年前のことすら忘れているのに、舞台を演出していた1986年から2003年は、何年の何月頃何をしていたかほとんど覚えています。何百人(いや千人以上か)という人と出会い、のべ何万人という人が舞台を見てくれました。


パンフ自分  


舞台のためにプロダンサー養成の研究所を作り、そこから300人以上の卒業生を出しました。みんながプロになれたわけではありませんが、ダンスの先生、ディズニーランドやUSJのダンサー、歌手のバックダンサーや振付師など、今でも活躍している人たちも大勢います。高校や大学を卒業してから、カタギの道を選ばず、こちら側の世界に飛び込んでくる若い人たちにどう応えていけるのかいつも悩んでいました。まして、学校の先生や大学を中退して入所してくる人も少なからずいました。ほとんど素人の人でも、ジャズ、バレエ、タップ、ヒップホップの基礎を教え、毎日腕立てや腹筋、ストレッチを繰り返しているうちに1年も経つと、ダンサーらしい体つきになり、足も180度開くようになっていきます。暇があれば、みんなであらゆるダンスのビデオを見ていました。例えば『ウエストサイド物語』のあのシーンのように、というと全員が分かっているといった具合に、イメージを統一したかったのですね。これはキリのない作業でしたから、まず授業では『ザッツダンシング』の全巻を見せましたね。昔のダンスを覚えさせるという意図ではなく、ものの考え方をわかってほしいという気持ちからです。フレッドアステアもマイケルジャクソンも、その時代のトップランナーです。でも、いま生きていたら、同じ踊りを踊るわけないでしょ。偉大なダンサーを理解するということは、今自分が何をやったらいいのかということを知ることでもあるわけですよね。それは、私自身にも言えることでした。20年近くの間、心身ともにすべてを振り絞るということの連続でした。そんな研究生と研究所卒業生、30人以上いたダンス教師、ダンス教室に通っている生徒からはオーディションで選び、春は本公演、秋は発表会と年2回の舞台をやっていました。


今、思い返すとなんて贅沢な日々だったんだろうと思います。いつだったかの公演パンフレットに舞台は始まりがあって終わりがない、と書いたことがあります。幕が上がった舞台は、その場にいた人だけにしか共有できないけれど、私の心の中で何度もくり返しくり返し波のように打ち寄せる。何度も繰り返すうちに大きなうねりになり、記憶の中で渦巻いています。今はさざ波になったけど、私にとって舞台とはそんなものでありました。


なんかうまく書けないなあ。いや、説明したりするものでもないんだけど。もっと、心身共に調子のいいとき、このネタはもう一回書きます。


今回はこの辺で。


なまはげの夜 -2016年-

明けましておめでとうございます。


ところで、秋田県男鹿半島と言えばナマハゲですよね。『いだが、いだが、泣く子はいねが』で有名な赤鬼青鬼のナマハゲです。観光用のナマハゲと違って、実際はかなり怖いものでした。なぜ、でしたと過去形かというと、私の小学生の頃は、土足で家の中に入ってくるわ、勢い余って障子や襖を破るわ、逃げた子供を追いかけまわすわ、言葉は悪いけどやりたい放題なところがあったんですね。それに1軒1軒にお膳に簡単な料理とお酒が用意されていますから、大騒ぎしながら10軒も回れば、だいたい酔っ払い状態になりますよ。ちびちび飲むわけにいかないので、ナマハゲらしく豪快にちょっとお面を上げてぐいっといくわけですよ。そこで子供たちは、『あれっ、○○君のおとうさんじゃね』と気づいたりするんですが、うかつに口走ると後が怖いので、早く帰ってくれるのを祈って、ごめんなさいと謝り続けているんですね。50年前のナマハゲは、そんな感じでした。

さて、今のナマハゲはというと、比べ物にならないほど洗練されてスマートになりました。なにしろ、中に入っているのが現役高校生だったりしますから。高齢化の波は、当然この過疎の町にもやってきて、ナマハゲのなり手がいなくなりつつあります。そこで、白羽の矢が立ったのが高校生です。何しろ若いので元気もいいし、体力もある。無駄に酒を飲んで、若い女の子を追いかけたりしない。これはこれで、いいことづくめでもありますよね。さて、1週間ほど前になりますが、わがネットショップ(自宅でもあります)にやってきたナマハゲというと。

なまはげ動画2016  
(ナマハゲ君と記念写真)⇒隣は動画(クリックしてYouTubeへ)


夜のしじまの中に人とも動物の声ともつかない奇声が聞こえ、来るぞ来るぞと緊張が絶頂になったとき、来ましたよ、ナマハゲ君が。ところが、玄関先で大暴れです。今は、その家の了解がないと、家の中まで入ってこないそうなんですね。わが家は、母と娘と私の3人。あまり脅かしがいのない家なんですね。娘は、何年ぶりのナマハゲなんで写メを撮りまくりです。すると、ナマハゲ君の1匹が『動画ですか?』と聞いてきました。『いえ、写真です』と、娘が答えると、ピタッと怒鳴るのをやめ、真ん中のスペースを開けてシンメになり、『こちらにどうぞ』と娘を呼び寄せると、記念の写真を撮りました。(左の写真) 次に私が、『動画いきます!』と言うと、『きっかけください』と答え、私が合図をすると、また大暴れです。(右の動画YouTube)どうですか、スマートなナマハゲ君でしょ。なにしろ、現役高校生ですからね。こうして、昨年もナマハゲの夜が終わりました。

今年もよろしくお願いたします。


年の終わりに思うこと

早いものですね。もう年が暮れようとしています。今年も、みなさまには本当にお世話になりました。去年の今頃は、大病のあとでショップを続けるか迷っているくらいだったのに、何とか今年も乗り切れました。むしろ、後半には調子が良くなって、おかげさまで売り上げも順調に伸びてきました。でも、せめてあと1週間くらいあったらなあ。忙しくて、歯医者もキャンセルしたままだし、ネコの予防注射もまだ行けていない。まして、大掃除どころか、事務所の整理もままならないまま年を越しそうです。


昔、息子と娘の3人暮らしの時は、毎年この時期になると『わが家のミシュラン』のランキングを付けていましたね。その年の私の作った食事の人気投票です。筑前煮や山芋の磯部揚げ、トマト煮なんかが、評判よかったですね。ほかにも、、よく食べた果物やよく行くスーパーなど一年を総括するランキングを付けて、印刷して配布していました。たった3部ですけどね。なんか秋田に住んでいると、東京時代が遠い昔のような気がします。

それにしても、今日の秋田は雪景色です。3年前初めての冬を迎えたとき、『そろそろチェーンを買わなきゃ』と言ったら、馬鹿じゃねえのと言われたことを思い出します。スタッドレスタイヤが、当たり前なんですね。それに、ほとんどの車が4輪駆動です。でも、だいぶ慣れました。それに、男鹿地方は秋田の中でもそんなに雪が多くないんですよ。唯一、出っぱっている半島だからなんでしょうね。明後日はなまはげの日ですが、雪がないとちょっと雰囲気が出ないなあ。

そういえば、昨日自分が死んだ夢を見たんですよ。なんか気味悪くてネットで調べてみると、とてつもなくいい夢なんだそうです。幸運や成功をつかみ取る夢のような夢、そんなことが書いてありました。不遇の時期がちょっと長かったけれど、来年に向けての吉兆なのかもしれません。腕まくりしてさあ頑張るぞ、という元気はないけど、私なりにこの幸運のしっぽにつかまりながら頑張っていこうと、意を強くしました。死ぬってことは、生まれ変わるということですものね。

こうしてとりとめもなく書いていると、もう何時間も過ぎてしまいました。注文が来るたびにお茶を詰めたり、メールの返事を書いたりと、何かと気ぜわしい日です。そういえば、もう一つ忘れていました。車の窓が閉まらなくなってしまったんですよ。とりあえずガムテープで補強していますが、今時そんな車見たことないですよね。もう修理工場が終わっていたらどうしよう。とても情けない姿で新年を迎えることになりますね。ま、いいか、ちょっとおバカなくらいで生きてきたのだから、今さら変えられないですよね。でも、吹雪になったら、命がけです。

みなさまも、どうかよいお年をお迎えください。また、来年お会いしましょう。

片手を上げて眠る人

そろそろ店長日記を書かなければいけない時期なので、昨日から書き始めたんですね。11月26日(イイフロ)にちなんで、バスソルトの話を書こうと思って、塩やら合わせるハーブを用意してみたんですが、書きそびれているうちに今日になってしまいました。残念!ガッキーのドラマ(『逃げ恥』)と『砂の塔』を見ているうちに、時間がなくなってしまったんですよ。なにしろ、秋田はTBSが映らないので日にち遅れでネットで見るしかないんですね。バスソルトに興味のある方は、過去にも、ハーブの保存法海のしずくで触れていますのでそちらを参照ください。それにしても、今年の紅白は、星野源の歌のあとに、ガッキーと石田ゆり子が登場し、恋ダンスを踊るってのはどうでしょうかねぇ。盛り上がると思うなあ。


ところで、今日はちょっと怖い話です。1998年の春、私は急性腎不全で病院に担ぎ込まれました。春の公演が終わり、心身共になんかしっくりこなかった時期で、疲れ果てていました。入院先を紹介してくれた主治医は、気を使ってくれて1人部屋を予約してくれましたが、空いていなく2人部屋を私一人で使うことになりました。入院した日の夕方、看護師が来て、救急でどうしようもないので空いているベッドを使わせてもらえないか、と相談を受けました。私はこだわることもなかったので、2人部屋の入口に近いベッドに細身の中年男性が同室で使うことになりました。

千駄木にあったN医科大学付属病院は、当時病院の中に喫煙室が完備されていました。私が、点滴スタンドを引きずりながら喫煙室に行くと、同室の男性の親族らしい人が集まっていました。それとなく話を聞いていると、余命いくばくもない男性が自宅で療養していたがもう本当に危ない状態になり、今日病院に連れてきたという話をしていました。そこに医者が現れると、奥さんらしき人と小声で『8時半くらいでいいですか』『ええ、そのくらいには親族がそろいますから』という話が、聞こえました。嫌な予感がしましたが、喫煙室はほとんどその親族の人たちが占め、世間話風に葬儀屋の手配やお通夜、葬式の段取りなどを話しあっていました。私が病室に戻ると、男性と2人きりです。静けさの中に男性のちょっと苦し気なため息のような息遣いだけが聞こえます。

その時間が近づいてくると、私の隣のベッドには続々と人が集まりだしました。小声で元気づけるような声をかける人もいます。そのうち、医者が看護師を引き連れて現れ、カウントダウンが始まりました。奥さんと思しき人が、『パパ、パパ』と取りすがるように声をかけます。このうち声がだんだん大きくなり、『パァパ!パァパ』とあたりかまわず叫ぶようになり、最後には『しんちゃん、しんちゃん』という声が、響き渡りました。しんちゃんとは、独身時代の呼び方だったのでしょうか。ドラマの一コマのようなシーンが終わり、医者が小声で何かしゃべるのが聞こえ、みんながすすり泣きはじめました。全部終わったんだ、と私は理解しました。そして医者が去ると、ぞろぞろとみんなもあっという間に部屋から出ていきました。こうして、病室には私としんちゃんだけが取り残されました。まもなく係りの人が来て霊安室に連れていくか、葬儀屋が来るのか、それからゆっくりタバコを吸いに行こうと思っていました。1時間、2時間と待っても、誰も来ません。じっと天井を見つめながら寝ていると、隣からため息のような息遣いがまた聞こえてきそうな気がします。もしかして、一晩このまま放置されるのかなと不安になりました。消灯時間の過ぎた病室は、静寂に包まれ、私だけがしんちゃんと2人で固まっていました。

このまま待っていてもしょうがない、ちょっと喫煙室に行ってちょっと気分を変えようとベットから立ち上がったときのことです。隣のベッドに目を移すと、しんちゃんが片手を上げています。そして顔にかぶせてあった白い布が、ずれて顔が半分くらい見えています。死後硬直ということはもちろん知っていましたが、見るのははじめてです。まして、さっきまですがって泣いていた人たちが誰も知らないところで、こんな姿になっているなんて。私は、失礼と心の中で合掌しながら、ベッドのすぐわきを通りながら喫煙室に急ぎました。喫煙室には、もうもうとした煙の中に親族の人たちが、まだしんちゃんの思い出話をしていました。私は思わず、行ってあげなさいよと言おうかなと思ったとき、『葬儀社が来ました』という声がして、一斉に病室の方にみんなが移動を始めました。一瞬、ほっとしましたね。今夜はゆっくり一人で寝れるなと。部屋に帰ると、しんちゃんはベッドごといなくなっていました。ぽっかり空いた場所につい数時間前まで生きた人が寝ていたと思うと、不思議な気分になりましたね。

この話は実話です。というより、この日記に書いてあるほとんどのことが実話です。でも実際、2時間経った遺体が手を上げるのか、手を上げたまま亡くなったのか、たまたま白い布がずれ落ちたのか、亡くなってから首がちょっと動いたのかはわかりません。ずっと言いたくてしょうがない体験だったのですが、ホントなの?と言われるのが嫌で、封印していたのも事実です。翌日に私は1人部屋に移り、何事もなかったように入院生活が始まりました。これって病院ではよくある話なんでしょうかねえ。

*参照 片手を上げて眠るネコ(you tube)

マルサのおじさん

人の話は面白いもので、うまくいった話ほどつまらなく、失敗した話、特に自分が失敗した話ほど面白かったりしますね。美女と偶然出会い、食事をしたら超盛り上がり、その後ホテルでチョーもてたという話聞きたい?といわれても、なんか馬鹿馬鹿しくて聞く気にもなれませんよね。その点、面白いかどうかわかりませんが、今回は私の人生最大の失敗のお話です。


20年ほど前のある日、突然会計士の先生から電話がありました。『税務署が調査に来たいっていうんだけど』それが、悪夢の始まりでした。『今回は勝手が違うからね、とりあえず帳簿類は自宅の物置にでも、しまっといて』税務調査は、何年かに1回は受けていたものの、勝手が違うってなんだ!と思いながら、いくら考えても思い当たるフシがありません。税務署が来る前に先生の指導もありました。『意味もなく机の引き出しを開けたり、パソコンを開いたりしないように。』『なぜですか』『開けたら、覗き込まれて、それなんですかって言われるだろう』聞かれて困るものなんて何一つないのになあと思いながらも、スタッフにも余計な動きをしないようにとくぎを刺しました。さて、いよいよ査察の日『マルサの女』のように本棚や絵の裏まで捜索されるのかと思いきや、さらっと見て、お忙しいところ失礼と言いながら税務署員は帰っていきました。なんだ、肩透かしじゃんとほっとしました。というより、元から何もないのにお騒がせの税務署だなと、内心ちょっと腹立たしいくらいの気分でした。

しかし、それはこれから始まる大事件の序章に過ぎませんでした。まず、帳簿類全てを税務署に提出させられました。税務署員が来たとき、なんとなく人のよさそうなおじさんだったので、有無を言わせない言い方で、帳簿を届けてくださいと言われたときは、正直何を偉そうにとしか思いませんでした。無意識に会計士の先生とおじさんを比べて間違いなくこっちのペースでことが進むだろうと思っていました。先生は、有名な自動車メーカーの監査役でしかも20人も会計士や税務士を抱える会計士事務所の社長、銀座のアカペラ王(アカペラでオペラを歌うので有名)です。貫禄が全然違います。そんな先生がなぜ私の顧問だったというと、まあそれは紹介というか、銀座のお姉さんが引き合わせてくれて、先生が私の舞台が好きになってくれたというか、いづれにしても私には不釣り合いの大物会計士だったのです。それに引き換え風采の上がらない税務署のおじさんには、負けるわけがないと思っていました。

税務署員


おじさんが攻撃を開始したのは、その直後です。領収書を1枚1枚確認し始めたんですね。『イトーヨーカドーで文房具を買っていますけど、地下売り場で食品も買っていますね。これ、お家で食べるものですか?』『いえ、スタッフの弁当だと思います』『なるほど、じゃ正確には消耗品じゃなく福利厚生費なんですね』こんな調子で、毎日問い合わせがきました。スーパーのレシートは、変色したりするので、各売り場でもらった何枚かをサービスセンターで手書きで1枚にしてもらっていました。それが怪しく見えたんですね。まさか、それが、1か月も続くとは思ってもいませんでした。『伊勢丹で買ったスーツは私服ですよね』『いえ、衣裳です』『衣装でブランド物のスーツが必要なんですか』『はい、私は衣装にこだわっていますので』これって全部伊勢丹に問合せして、担当者に電話で聞いているんですね。例えばイトーヨーカドーも、領収書をファックスしてその内訳をまたファックスし直してもらってチェックしているんです。たった1人の税務署のおじさんが、1か月にわたって何百枚という領収書を調べ上げました。そんなに頑張っちゃったら、何もないってわけにはいかないでしょ。何よりも私の業務がストップしてしまって、何ともできなくなってしまいました。おじさんから毎日かかっている電話に、アルバイトの子じゃ対応できないので、毎回私が出ていたんですね。先生に相談し、そろそろ決着をつけることになりました。その決め方は、ビックリなんですが、パーセントで決めるんですね。確かに私用で買ったものもあります、でも消耗品費の10%くらいです。いや、高価なものを私用で買っていることが多いですから、20%はもらわないと、じゃ、15%にしましょうか。こんな調子で決めていきました。経験豊富な先生も、おじさんが意固地になっちゃって困ったなと、根負け気味になってきました。福利厚生費に家族に使ったものはありませんか、打ち合わせに居酒屋を使いすぎではないですか、大量の本やCDを購入していますが自分のものはありませんか、おじさんが攻勢に出てきて各科目から何%か勝ち取っていきました。税金逃れをしたとは、今でも思っていません。でも、参った、もう終わりにしようよという気持ちでした。仕事が山のようにありますからね。こうして、なんだかんだで300万円ほどを払うことにして決着することにしました。しょうがないね、これも人生の修行だねとあきらめてやけ酒を飲みました。ここで終われば、ちょっとした失敗なんですが…。税務署から来た請求書を見て、ひっくり返りました。1000万円を超えているんですね。過去3年にわたって、追徴課税、加算税、延滞税、まあいろいろくっついてくるんですね。しかも、すぐに払わないと、利子が年14%ですよ。あまりのショックにくらくらしていると、追い打ちをかけるように住民税の請求がきました。よく見解の相違というけれど、普通に仕事をしている会社でも1か月も税務署に付きまとわれたら根を上げますよ。教訓も程度を超えると、失敗としか言いようがないですね。おかげさまで、今ではそんな失敗の心配がなくなりました。心配するほど稼いでいないからね。嬉しいのか悲しいのか。

この最大のピンチは、銀行が救ってくれました。『貸し渋り防止法ってのができてお金を借りてくれるところを探しているんですよ、1000万円借りてもらえませんか』渡りに船で、何とか窮地を免れました。あれ、これってうまくいった話ですね。いやいや、借りなくってもいいお金を借りて、返すのにどれほど苦労したことか。
でも、なぜ突然税務署がやってきたのかは、未だに謎ですね。


ヒップホップ小僧マイク

長かったオリンピック、パラリンピックも、昨日で終わりました。スポーツの大会って本当にいいもんですね。人並み外れた運動神経の持ち主が、真剣に戦う姿は実に感動的です。次は、いよいよ東京ですね。開会式でも閉会式でも頼まれれば、いつでも演出をやる準備はできているんですけどね。冗談もいい加減にしろって。カズだって、今でもWカップ目指して日々練習をしているんだから、言うぐらいいいでしょ。


ところで、スケールが小さくなりますが今回は私の関わったスポーツ大会について書きます。バブルのころは何かにつけてダンサーの需要がありましたが、運動会はよく行きましたね。学研、日経、SB食品、業種は違いますが、運動会にはダンサーが付きものでした。何をするって。それは、準備体操です。壇上で白い体操服のお兄さんがラジオ体操をやるよりも、きれいなお姉さんがレオタード姿でアイソレーション(準備体操)をやる方がなんかみんなやる気が出ますよね。まして私はサービス精神が多い方ですから、10人くらいのレオタード娘を要所要所に配し、笑顔と元気で盛り上げますから、社員の方たちには大変人気がありました。もう一つの仕事は、チアリーダーです。競技が始まると、チアリーダーの格好に着替え、応援を始めます。ラインダンスなんかやった日にゃ、競技そこのけでみんなの目はダンサーにくぎ付けです。いわば営業ですが、多い年は年2,3回やっていましたね。

もう一つ、これはスポーツ大会の中でも最大級のイベントを担当したことがありました。91年の世界陸上の東京大会です。ナイキからの依頼で、大会前夜のパーティーを盛り上げてほしいというものでした。それじゃ、東京音頭をやろうということになり、ヒップホップ版東京音頭を作りました。トトト、トウキョウ、オンドダヨ、イエーみたいなヒップホップのドンカマのリズムに歌詞を載せて、DJが時折スクラッチを交えて、どうやって踊るんだ!というくらいノリノリの曲でしたね。曲はあらかじめ、ナイキに渡して社員が自主練することになりました。

前夜祭当日、東京プリンスホテルの会場に入った私たちは唖然としました。一番大きな広間に、3,4メートルもあるやぐらが組まれ、世界各国の旗がはためき、その上にはDJブース、何十人というナイキの社員がポップな浴衣を着て東京音頭の練習をしていたのですから。さすが電通はやることが違うなと思いつつ、ふたを開けると各国の有名なアスリートたちが、輪になって楽しそうに踊っています。DJもディスコさながら、『イエイ、トトト、トウキョウオンド!』なんて盛り上げて祭りもたけなわになったときのことです。予想外のことが起きました。1人の若者が、やぐらに上り始めたんです。止める間もなくてっぺんに着くと、マイクを持ち、ラップ東京音頭をうたい始めました。そして、DJブースに入り、レコードを回し、やおらDJを始めたのです。アスリートたちも、下からやんややんや騒いでいます。意外にもDJの腕前がプロのようで、私も正直あっけにとられてみていたのを思い出します。

マイクパウエル  
参考写真                       マイクパウエル

91年世界陸上は、カールルイスの独壇場になると思われていました。100mを世界記録で終わった後で、長嶋茂雄が『ヘイ、カール』と呼びかけたシーンは、みなさんもよく覚えていますよね。走り幅跳びも途中まで好記録連発で、当然カールルイスが圧勝するだろうとみんな期待していました。ところが最後の跳躍で、1人の無名の若者(少なくとも私には無名でした)が、8m85cmという驚異的な世界記録を更新し、優勝をさらってしまいました。『あれ、あいつ』私は、目を疑いました。前の夜、DJブースでノリまくっていた青年、マイクパウエルがそこにいたのです。写真くらい一緒に撮っとけばよかったかなと思いましたが、まさかあのヒップホップ小僧が、歴史に残る大記録を打ち立てるとは…。

ナイキは、前夜祭を盛り上げたお礼にギャラ以外に、新しいシューズをプレゼントしてくれました。当時はそれが貴重で、運動靴というよりオシャレアイテムだったので、ここぞっていうときによく履いたものです。91年というとバブル崩壊直前です。あれはあれで良き時代でしたね。

東京食べ歩き

久しぶりにお休みをいただき、13日から16日まで東京に行ってきました。かみさんの墓参りも兼ねて、たまにはうまいものを腹いっぱい食ってみるか、というのが今回の旅の目的です。普段はほとんど自分の作ったものしか食べていないですからね。

初日は、新宿のホテル(なんでほとんど酒を飲まなくなったのに歌舞伎町のすぐ近所のホテルなんでしょうね)から、ほど近いロシア料理の老舗『スンガリー』。ここは、オセトラ、ベルーガといった貴重なキャビアがおすすめです。キンキンに冷やしたウォッカにちょっと塩気の効いたキャビア、最高だなあ。実は、一緒に行った子供たちが生まれる前によく通った店で、当時からオシャレなデートスポットでしたね。
その夜は、子どもたちと別れて、古い友人と合流。元ダンサーだった友人は、ゴールデン街へ行こうよ、と誘ったのですが面倒なのでホテルの近くの思い出横丁の『鳥園』へ。ホッピーの薄い焼酎割を飲んでいると、女子会のグループがちらほら。えっ!ここは、鳥園だよ、昔店員に灰皿ちょうだいって頼んだら、指で足元を指され、見ると床が吸い殻でいっぱいだった鳥園だよ。まさか女子がいっぱいいるなんて、時代も変わったものだと、感じ入りました。それにしても、思い出横丁とはよくもつけたものだなあ。

次の日は、娘とサンシャイン劇場でキャラメルボックスの芝居を鑑賞。面白かったなあ。昔、あるファッション誌で、私がダンスの記事を書いて、次のコーナーでキャラメルの制作をしている加藤さんが演劇用語の解説を書いていたことがあって、なぜか親近感を持っていました。大したもんだなあとしか言いようがありません。20年以上も面白い舞台を作り続けているなんて。
芝居のあとは、念願の『桂花ラーメン』です。ラーメンというものはクセになるもので、新宿東口にまだ1店舗しかなかったころから、ほとんど毎月1回は食べていました。今回の上京の目的の一つがターローメンを食べることでしたから、久しぶりで美味しかったなあ。
夕方は、口直しに新宿の『高野フルーツパーラー』へ。10年前は、女子どもの食べるものと馬鹿にしていましたが、今はむしろ好きです。それにしても、旬の桃やマスカットのパフェって高いものだなあ。ま、この時期だとちょっとしゃれたレストランで、食前に桃のシャンパンはいかがですかって訊かれて、ハイと答えたらもっと高いかなんて、無粋なことは言いっこなしです。どっちにしても支払いは娘ですから。

新宿レストラン  

その日の夕食は、新宿大ガードから歩いてすぐの『トラットリア クアルト』娘のおすすめイタリアンでした。オープンキッチンの活気のあるお店でしたね。とにかく若い料理人の手早い仕事ぶりが見ていて楽しい。しかも、肉も野菜も新鮮でおいしい。私が太鼓判を押すのですから間違いなしです。東京に住んでいる方も、これから行く予定のある方も、是非チェックしてみて下さい。それにしても、前は教える一方だったのに、最近は娘に教わることが多くなりましたね。

3日目は午後から行動。息子と待ち合わせると、最近はやりだという牛カツ定食の店(『あおな』)で遅い昼食でした。そのあと映画を見るため歌舞伎町一番街を歩くと、なんとコマ劇のあとに巨大なゴジラが現れました。一瞬、絶句しました。かつてコマ劇の地下にあったシアターアプルは、私の心の劇場でした。私の春の舞台は、東京芸術劇場中ホールでやっていましたが、1999年春はじめてシアターアプルに移しました。心機一転自分の人生をかけるくらいの意気込みで、舞台初日の前の日の夜中に劇場の前で祈りました。その場所が、ゴジラを前にしたその場所だったのです。兵どもが夢のあとか、私は、兵でも有名な演出家でもありませんが、そんな科白が浮かびました。舞台を離れて13年、東京を離れて3年、私が変わっていくように東京も変わり続けています。そのとき、母親に手を引かれて正装をして舞台を見に来ていた小学生が、隣に立っている息子です。情けなくなるくらい時間は無情にも早く過ぎ去るものですね。

シンゴジラ近景  


話題の映画シンゴジラを見た後、歌舞伎町を散策し、結局アルタ裏の『イーグル』に落ちつきました。老舗のバーは、40年前と全く同じ佇まいでした。折り目正しいバーテンダー、なぜか美味しく感じるハイボール。禁酒中の私は、ドライマティーニをぐっとこらえて、ジンリキーをなめるように飲みながら、今の息子よりはるかに若かった当時の自分を思い返していました。何気なく目に入ったカウンターの隣の青年が、立て続けにダブルのハイボールを7,8杯飲み、ピザを1枚平らげ、もう1杯ダブルのハイボールを飲み、スゥと帰っていきました。どこにでも、見習うべき人はいるもんだなあと、つくづく思いました。今さら修行しようにも遅すぎるけれど、酒飲みのあるべき姿を若い人に見せてもらいました。こうして3日目の夜は更けていきました。

さて、最終日メインイベントの墓参りです。息子と娘の3人で、浅草の東本願寺へ行くのは、7回忌以来です。参拝のあと、不謹慎だけど浅草はやっぱりウナギでしょ、と、行ったのが、『和田平』です。子どもたちには、通は下から2番目くらいのものを頼むもんだよ、と言うと素直に手ごろな値段のうな丼を頼んでいました。昼だからという理由で、たった1本のビールを3人で飲み、うまきも3人で分けて食べました。ここは私がおごろうというと、みんな喜んでいましたね。父親が、売れないネットショップをやっているのが分かっているので嬉しかったんでしょう。残りは、全部子どもたちがおごってくれたので、私も嬉しかったんですけどね。

1年半ぶりの東京ですが、懐かしい店に行ったり、昔のことを思い出したりで、あっという間でしたね。今回は食べ物を書こうと思いながら、横道にそれたりしましたで、書き足りないことがたくさんありました。ついでに、お店のリンクを貼っておきましたので、みなさんのご来店をお待ちしております。それではまた、次回。


*店長日記参照 お・も・て・な・し

相撲少年

ある日の都営大江戸線の出来事です。両国駅に着いたら、鬢付け油のいい匂いとともに大柄な少年が3人浴衣の裾を翻しながら、どかどかと車内に入ってきて私の向かいの席にドスンと座りました。まだ昼下がり、車内にはほとんど人影がなく、7人掛けの席に真ん中の少年を円陣で囲むように顔を合わせて座っています。


『そいでさぁ』話の続きらしく真ん中の少年が話し出しました。『のど輪が苦しくってさ、夢中でバンバンバンッて顔めがけてパンチを出したんだよ、そしたら、うまい具合にのど輪がスポンって外れたんだ』『おおっ』という顔で両端の少年がうなづきます。『チャンスと思ったら、すかさずもう一発のど輪が来たんだ、俺はとっさにフェイントでかわし、左前まわしをつかんでガチッとひきつけた』また軽く『おおっ』と言いながら両端の少年がうなづきます。『それから怒涛の寄りだよ、いきなり逆転したもんだから相手は泣きそうになっちゃてね』どんな相撲取りが相手なんだよ、と思いながら聞いていると『土俵際まで追い詰めてあと一息っていうところで、思わぬ逆襲にあっちゃって』『どうしたんですか』『頭突きだよ、俺の顔めがけてガツンガツンと無我夢中で頭をぶつけてくるんだ』『それでどうしたんですか』『決まってるだろ』少年は、ボクサーのように首を左右に振りながら『持ち前の運動神経で全てよけたさ』

番付がちょっと上の少年が、今日の取り組みを後輩に自慢しているようです。髷は結っていますが、どう見ても顔は高校生くらいにしか見えません。まわりの大人はうつむき加減に笑いをこらえ、のんびりした車内に少年の声が響き渡っていました。

相撲面白
文章とは何の関係もありません。


あの少年たちはどうしているのだろうなあ。あれから5,6年は経っているので、うまくいけばTVの中継に登場しているかもしれない。でも、厳しい世界だから廃業してるかもなあ。今日は、名古屋場所の10日目。久しぶりの日本人横綱が誕生するかもしれません。TVをちらちら見ながら、昔のことを思い出してしまいました。もう5日後、どうなっているんでしょうねえ。

初めてのロンドン

イギリスでEU離脱の国民投票が行われましたね。世界経済にとっても、世界平和(大きく出たか)にとっても、悩ましいことです。イギリスにちなんで、今回は私が初めて行った外国旅行の話を書きます。その時は、40年も前になるので、青い目の大男たちのいるはるか異国に、命がけで乗り込むくらいの覚悟がありましたね。結局2か月以上かけてヨーロッパを一周したわけですが、初めて降り立った異国がロンドンでした。


成田を発った飛行機は、経由地のアンカレッジを目指して飛行していました。はじめての国際線に乗った私は、ものすごい不安感に襲われていました。CAのしゃべる英語が何一つ理解できないのです。言われるままに指さして食事を選び、タダだと聞いていたのでウイスキーを指さし『これもくれ』と何度も催促し、朦朧とした頭でトイレに行っても何も出ない。生れてはじめて便秘になってしまったのですね。今考えると、気圧のせいだと思うのですが、20歳そこそこの小僧には理解できません。アンカレッジに着いて、早速にトイレに行くとまた大パニックです。トイレに仕切りがないのです。『ええーそんな馬鹿な』と思いながらも、トイレに入ろうと思いましたが、大男が並んでいるトイレに入る気にはなれません。外国とは、こういうところなのか。暗澹たる思いでした。

ロンドンブリッジ

ロンドンに降り立った私は、大きな荷物をガラガラ転がしながら、トイレを目指してあてもなく歩き続けていました。今だったら、ホテルに直行して荷物を預け、コンシェルジェに『どっか美味しいとこある?』と聞き、タクシーを呼んでもらいレストランに行くのですが、当時はそんな知恵はありません。タクシーもバスもなんとなく怖く、道行く人にトイレどこですか?と聞く勇気もありません。俺の短い人生も一巻の終わりか、と思ったら、目の前に大きな建物が見えてきました。ロンドン橋でした。死ぬ前にロンドン橋くらい見ておくかと、気力を振り絞り橋の袂まで行くと、公衆トイレが見えました。『ラッキー!』目の前がキラキラしてきました。よく見ると、ちゃんとトイレに仕切りがあります。やっぱり紳士の国は違うなと感心し、飛び込もうとしたら門番に呼び止められました。これに乗っていけと、体重計指さされました。なるほど、素晴らしい!英国人は体調管理のために、トイレ前とトイレ後の体重をはかる習慣があるんだと改めて感心しました。2日ぶりにすっきりした私は、門番にチップを渡し、晴れ晴れとした気分で、さあこれから旅が始まるぞ!と、気持ちが高揚したことを覚えています。

後で聞いたら、ちょっとおバカな観光客用の体重計だったらしいのですが、私にとってはいい思い出です。この旅は、今考えると無謀で若気の至りのオンパレードでしたね。最後に着いたのがローマでしたが、ちょうどローマ法王が亡くなった日で、3日以上ローマに足止めされました。お金が無くなり、帰りは南回りで帰国しました。おかげで、カイロ、香港にも1泊できました。当時のカイロ航空の女性のCAが口ひげを生やしていた話を書きたくなってしょうがないのですが、今日はこの辺で。


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ネコの決意(長編です)

今日、ノア(ネコ)のワクチンの注射に行ってきました。本当は去年の10月だったのですが、私の入院などで延び延びになり、ようやく飼い主の義務が果たせました。おっと、うかつに飼い主なんて言っちゃって。ノアは私の同居人であり、兄貴分なのを忘れていました。


ノアが西葛西のわが家へ来たのは、7年前です。生後2か月で体重500g、寝ても起きても、歩いてもこけても、それは可愛らしく子猫の可愛さを全て兼ね備えていましたね。抱っこしながらグーグーと言うと、つられて30秒くらいでぐっすりと眠り、ゴム輪を投げると犬のように全速力で取りに行き、面白がって娘が何回もやるもんだから、可哀想になり『いい加減にしろ!』と、娘に怒ったりしていました。ジャンプが大好きで、箪笥に登ってはベッドの上の私のお腹の上にムササビのように何度も飛んできます。ペットボトルくらいの重さだから何ということないけど、そんなことを毎日やっていましたね。いつの間にか家族の中心になっていました。ノアは、子どものころは本当に甘えん坊のネコでしたね。30分に1回は、抱っこされにやってきて膝の上でゴロゴロ喉を鳴らし、出かけるときは玄関に正座し、悲しそうにニャーと泣きます。娘と一緒に帰ったときなどは、喜び勇んで玄関まで迎えに来て、2人いる姿を見ると、自分だけ1人かと拗ねて噛んでくることもありました。ノアにとって一番は娘で、私はナンバー2でした。娘に怒られてしょぼんと下を向いて歩いてきたのを可哀想に思い、声をかけるといきなり私に八つ当たりして飛びかかってきたりしてましたから。でも、朝娘が出掛けると、私のベッドに移動して一緒に寝ていましたから、無邪気で天真爛漫の性格はノアの生れ持っていた資質でした。



そんな日々に転機が訪れたのは、ちょうど3年前の今頃です。娘が大学卒業して社会人としても一人前になってきたとき、私も自身の身の振り方を考えるようになりました。かみさんが亡くなり、息子も家を出て、娘とノアの3人暮らしでしたが、その生活に終止符を打つ決心をすることにしました。それは、秋田に年老いた母が一人で暮らしていたからです。こうして私は、ノアと離れて一人で秋田に来ました。


2か月ほどして娘から電話がありました。ノアが寂しそうで見ていられないというのです。仕事を終えて帰ってくると、足にまとわりついてニヤーニャー泣きながら離れないし、見る見るうちに元気がなくなっていく、何とかならないかというものでした。話し合いの末、ノアは私が引き取ることになりました。当時私は無職だったし、ほとんど家にいない娘といるよりは秋田でのびのびと生活する方がいいだろうということになりました。娘の住むマンションを出る朝、生れてはじめてカゴに入れられたノアは恨めしそうにニャーと小さい声で鳴きました。新幹線の中も一睡もせず、じっと私を見つめています。少しカゴのふたを開けると、短くニャーと泣きます。どれほど不安な気持ちでいるのか、手に取るように分かりました。家についてもカゴから出ようとせず、怯えています。自分の居場所が分からず、びっくりするくらいのへっぴり腰で歩き回ると、押し入れの中に入りました。食事もせず、トイレにもいかず、泣きもせず、じっと押し入れの中に身をひそめました。私はそこで初めてノアの悲しさを理解しました。人の都合で私と別れ、今度は娘と引き離され、知らないところへ連れて来られてしまった切なさです。


ノン毛布


押し入れから顔を出したのは3日後です。あたりを見て匍匐前進しながら、ご飯を食べにやってきました。見るからにやつれ、哀れっぽい後ろ姿でカリカリを食べています。はじめて見るノアの姿でした。それから数日はそんな光景が続きました。抱っこされに来るどころか、私を見ると怯えたように後ずさりします。人間の裏切り(と感じたのでしょうか)、自分の運命を受け入れきれないネコの姿がありました。それでも、日を追うごとに少しずつではありましたが、押し入れの外に出るようになってきました。でも、エサを食べている時も、タワーで外を見てる時も常に緊張しています。カタと音がすると、すぐに腰を落とし上目遣いに身構えるようになりました。2階にいるのにもかかわらず、玄関に誰かが来る音がすると飛び上がって身を隠します。一番悲惨だったのが、花火大会でした。家の目の前に花火が上がると、猛ダッシュで逃げようとしても逃げるところがありません。よほど抱っこして車で家から脱出しようと思いましたが、結局心身ともにくたくたになり、ますます人間不信になったノアがいました。自分に降りかかる不幸の連続にもう生きていくのも嫌になった、といわんばかりに頑なに押し入れに閉じこもり、少し前までの無邪気で子猫の面影を残したノアの姿はもうどこにもありませんでした。


それから2か月してからのことです。ソファで私の隣に座っていたノアを抱き上げようとした時です。突然、噛んできました。いつもは噛まれてもしょせん甘噛みなので、好きなようにさせているのですが、この時は真剣でした。ギャーと聞いたこともない大声を出し、私の手から逃れようと猛烈に逃げ出しました。壁にぶつかるような勢いで走り回り、一番高い本棚の上に上り、ギャアオーと狼のように吠えました。私は捕まえようとし、ノアは抵抗します。表情や息遣いがエクソシストのように豹変し、大声をあげ、本気で爪を立て、野生のネコのように手の付けられないほど噛んできました。体中の毛を総立ちにして、喉のどこから声を出しているのだろうと思うほど叫びまわりました。私はもう追いかけるのをやめていましたが、睨み合いが10分ほど続きました。赤ちゃんの頃から育てているのに、こんな姿を見るのははじめてでした。隙を見てパッと抱き上げると、今まで以上に抵抗します。手から抜け出そうとするノアを必死で押さえつけ、顔を胸に押し付けました。そのうち四肢を一杯に踏ん張り抵抗していたノアが、だんだんおとなしくなってきました。見ると、ハーハーと犬のように荒い息遣いで、私の胸に顔を寄せています。そして眠ったように目を閉じて、顔を摺り寄せてきました。



その日からノアは変わりました。すっきりとした顔になり、積極的に散歩するようになりました。それでも、2階からの階段を降りるときは、1段降りるごとにニャーオーと大声を上げていましたが、1部屋ずつ制覇していきました。1階のリビングで、スズメを見ながらカッカッカッと威嚇するようになり、お腹を見せて昼寝するようになっていきました。以前と違うのは、男らしくなったところです。顔を合わせると、右の拳をこつんと当てて挨拶します。呼び方も男らしく、ノンちゃんからノンスケに変わり、すっかり秋田の生活になじみました。甘えん坊だった面影はもうありません。


ノンタワー


あの日の出来事は、ノンスケにとって一つの儀式だったんだなと今は思います。過去の全てを振り切り、新しい生活に入るために必要だった乗り越えなければいけないハードルのようなものだった。ノアは決意しました。何も言わず全てを受け入れよう、と。そして大人の男らしいネコに自分を変えていきました。また、ノンスケに教えられちまったなあと思い、そばに行くと哲学者のようにタワーから遠くを見つめています。男らしさに思慮深さも兼ね備えてきたなと感心して顔を寄せると、振り向きざまガブッと噛んできました。間一髪、鼻の難を逃れ、やっぱりノンスケはこれでなくちゃ、と改めて思ったのでした。


参照 ネコの好きなハーブとは? 

    ネコのキャラ弁

大人のたしなみ -2

最近は、喫煙者の肩身が狭くなったとよく言われますよね。タバコもそうだけど、タバコを吸う人そのものも悪者扱いされたりして、何とも息苦しい世の中になったものです。私がまだ青年のころは、ハンフリーボガードがくわえタバコで『君の瞳に乾杯』なんて言うと、世の女性はメロメロになったものですが、今ではうかつに外でタバコを吸おうものなら白い眼どころか罰金ものです。いや〜私は、喫煙者の弁護をしているのではありませんよ。ただ、若いころはグラス片手にカッコよくタバコを吸えるのが大人のたしなみ、みんなそれを目指していたんじゃないの、ええっ、もう時代遅れどころか、迫害される時代なの、というのが、正直な感想です。だいたい、アメリカ人は極端なところがあるから禁煙禁煙と世界中で言いふらして、あのイタリヤやフランスまで追従しちゃった。ついこないだまで、くわえタバコでパスタを茹でていたのは、世界中みんな分かってんだから。当のアメリカだって、シェルトンやヒルトンなどのホテルが全館禁煙になっても、名門と呼ばれるウォルドルフアストリアやプラザの喫茶店では、普通にタバコを吸えますからね。コーヒーを飲みながらタバコを吸うっていうのは、当たり前ってアメリカ人だって思ってるでしょ、たぶん。スタバに馴らされた若造にはわからんだろうなあ。


こんな私も一度だけ禁煙したことがあります。今から16年前、鶯谷の医者に「絶対にタバコを止められる薬が出たから、一緒にやろうよ」と勧められました。その先生というのは、看護婦がたまに私の職場に来て「先生をジュリアナに入れてってくださいよぉ」というような間柄だったので、面白半分に出たばっかりの禁煙パッチという貼り薬を先生と一緒に試してみることにしました。1週間後、海外に行く用事があり、成田空港で長年吸ったラークの箱を握りしめゴミ箱に捨てました。それから、3か月くらいはパッチを付けながら禁煙を続けました。あるとき、机の奥に偶然パイプを見つけちょっと磨いてみたり、友人に代官山にシガーバーができたから行ってみようよ、と誘われ、つい酔った弾みに寄ってみたりと、驚くほどの偶然が重なり、まぁシガー(葉巻)ならいいかということになりました。そのうち、1日3本だったのが5本になり、10本になって吉田茂かチャーチル並みになってくると、経済的に苦しくなってきました。毎日何千円もシガーごときに払うのも馬鹿馬鹿しい、先生に相談しようと思い、飯田医院に行くと(あれ、病院の名前言っちゃった)、「えっ、まだ禁煙してるの」という先生の一言で、私の禁煙の誓いが、ガラガラと崩れ去ってしまいました。

たしなみパイプ

それ以来、禁煙はしていません。でも最近、お気に入りなのが、電子タバコ(上の写真)です。煙の水蒸気なので周りに迷惑はかけませんし、臭いも付きません。こんなものを吸っていると、生粋の喫煙者には日和ったなと思われるかもしれませんが、年齢なりに折り合いをつけていくのも人生ですね。思いつくままだらだら書いていたら、まとまらなくなってきましたので今日は、これで。

あの日の記憶

今年もまたあの日が近づいてきました。TVでは毎日のように特集が組まれ、否が応でもあの日の記憶が、波のように押し寄せてきます。圧倒的な大自然の驚異の前に、人の力がいかに無力であるか目の前に突き付けられる映像でもあります。私自身被害を受けたわけでもありませんが、あの日の記憶は鮮明に覚えています。無意識のうちに、忘れられない日になっているのでしょうね。みなさんは、あの日どう過ごされました?

5年前の3月11日、私は地下鉄日比谷線に乗っていました。小伝馬町に差し掛かったあたりで、電車が激しい揺れに襲われ一時停車しました。あっ地震だ!しかも相当大きいと直感的に思いましたが、誰も慌てることなく席で車掌の指示を待っていました。やがて、電車は当駅どまりとアナウンスがあり、外に出ると人々が車道に出て騒いでいます。ビルのガラスが割れて落ちるので歩道に寄るな!と叫んでいる人がいます。私はノウテンキなことに事の重大さに気付かず、電車も動いていないし時間をつぶすかと近所の中華料理屋に入り、ビールを飲み始めました。その店のTVに映っていた光景は、今までに経験のしたことのないすさまじいものでした。慌てて家族に連絡を取ろうと思いましたが、電話が通じません。結局、不謹慎なことですが、2時間もビールを飲みながらTVに見入っていました。家に帰るとしたら歩くしかないか、とネットで地図を調べ、重い腰を上げて外に出ると帰宅難民と呼ばれた人々が郊外に向かってぞろぞろ列を作って歩いています。見たことのない不思議な光景でしたね。それにしても、かなりの数の人がヘルメットをかぶっています。よくこんなに会社はヘルメットを用意しているもんだなと変なことに感心したことを覚えています。

夜中にようやく家に帰ると、玄関に迎えに来るはずのネコがいません。どこも開いていないので、必ずどこかにいるはずなのにと思いながら、押し入れの中でカタカタ震えているネコを発見するのに30分以上かかりました。それから、息子とも連絡が取れ、娘も2時間ほどして帰ってきました。実際ひどい被害にあった人たちと比べようがありませんが、私たち家族の3月11日はこうして終わりました。

あの混乱のさなか、いち早く営業を取りやめ、店の前にテーブルを出して、帰宅難民に無償でちゃんこをふるまったちゃんこ屋さんがありました。両国駅前の『霧島』です。心がけがしっかりしているところは、いざというとき違うなと思いましたね。お疲れ様ですと声をかけながら、従業員がちゃんこをふるまう姿はある意味感動的でした。この光景も、多分あの日の記憶とともにずっと忘れられない気がします。

マサラチャイ

今回は、久々のレシピの紹介です。スタバでおなじみのチャイティーラテの果林版です。チャイは一度くらいは飲んでみたことがあるけど、とても面倒くさそうで自分じゃちょっと、と思っている方、一度お試しください、びっくりするほどおいしいんです。いつも通り断っておきますが、これはあくまでも私流の作り方です。チャイティーに挑戦してみたい方の参考にしていただければと思います。まず、中に入れるスパイスです。


チャイスパイス2  チャイすりこ木 

左から、カルダモンクローブシナモンジンジャーオールスパイスと市販のブラックペッパーをすりこ木で、ある程度細かくなるまで、すります。それを鍋にバサッと入れて、水(コップ八分目)、紅茶(アッサムがおすすめです)小さじ1杯、砂糖大さじ3杯(チャイは、飲み物ではなくスイーツだと思っていただければ)を入れて煮込みます。

チャイ鍋2 チャイ出来上がり 

ぐつぐつと3,4分煮たら、牛乳(写真は加工牛ですが濃い方が望ましい)を少しずつ、水の2倍くらい入れます。沸騰したら弱火にして、鍋の縁から中心に向かって紅茶とスパイスがジャンピングしながら回転するのを待ちます。この状態で3分、茶こしで濾して出来上がりです。これでおおむね、2人分です。仕上げに、市販のチューブに入った生クリームを載せてみました。

スパイスの量は、適当です。カルダモンは高いから2,3粒、他は小さじ半分くらいでいいかと思います。スパイスの種類が少ないと、それなりに分量を調節してください。スパイスはスーパーで売っているパウダーを代用したり、生姜は生を使ったりとアレンジしても面白いですね。まろやかでスパイシーで甘くてコクのあるマサラチャイティーは、私も大好きです。試してみたいけど、カルダモンが高すぎだよ、という方に朗報です。注文の際にメールで『カルダモン希望』と書いて送っていただければ、1回分3粒をおまけでお付けします。自分が好きなものは人にも勧めたいから、是非みんなにも作ってほしいなあ。

あけおめ、ことよろです!

遅ればせながらですが、あけおめ、ことよろです。みなさんは、年末年始はいかがお過ごしでしたか。久しぶりの家族と再会したり、のんびり寝正月、はたまた旅行を楽しんだ方もいらっしゃるでしょうね。私は…というと、風邪で寝込んでいました。風邪をひくなんてホント何十年ぶりです。でも、料理は私の役割なので、いつも通り比内地鶏のガラで大みそかの朝からだしを取り、年越しそばを作り(私は食べずに見ただけです)、元日にはお雑煮を作りました。そのだしを最後に2日のきりたんぽに使いました。今年は、東京から息子が来ていたので郷土料理を食べさせてやるか、と思い今年はきりたんぽを作りましたが、私は半分くらいしか食べられませんでしたね。去年は大手術をしましたし、この半年健康についてつくづく考えさせられましたね。

『健康はすべてではないが、健康を失うとすべてを失う』

この言葉聞いたことがありますか。ないですよね。これは私の言葉です。15年ほど前私が肝臓肥大で入院した時に自分を戒めるために、筆ペンで書いて壁に張っていたものなんですね。確か東急文化村で映画を見ようとして、ちょっと時間があったので近くのレストランでビールを飲んでいたら急にわき腹が痛み、救急車で病院に運び込まれました。飲み過ぎで肝臓が腫れて肋骨を圧迫した痛みだったんですね。余談ですが、担当医が医学生を10人くらい連れてきて「すごい肝臓だから触らせてもらいなさい」と言って、次々に私の肝臓を撫ででいったのを覚えています。

正月早々バカなエピソードを書いていますが、みなさんに健康を売っている者が不健康じゃシャレになりませんものね。だから今年の目標は、1年間心も体も元気を保つ、これに決めました。ショップも、3年目に入ります。ここまで順調に来たのに3か月のブランクで、せっかく常連になってくれたお客さまの足が遠のいた感がぬぐえません。また買ってみたい!と思われるようなショップを目指して、また一からのスタートと思って、今年は頑張りたいと思います。

どうぞ、よろしくお願いいたします。
   
                                                                               あけねこ2016


長期休業のお詫び

みなさん、大変長らくごぶさたして申し訳ありませんでした。9月はじめに理由もなく突然閉店にしたので、みなさんには大変ご迷惑をお掛けし、また不審に思われた方も多くいらっしゃったと思います。


実はこの3か月間、病気のための療養をしていました。9月のはじめ、突然胸が苦しくなり、救急車で病院に行ったところ、大動脈解離と診断されました。これは、心臓から出ている胸部大動脈の内側に亀裂ができ、本来流れるべき血液が亀裂ができた膜の中に流れ込んでしまっているかなり危ない状態でした。入院して3日間くらいはほとんど意識がありませんでした。この間に注文をしていただいたお客さまには本当にご迷惑をお掛けしました。こちらからキャンセルをするのは本当に心苦しかったのですが、やむを得ずすべてキャンセルにさせていただきました。手術は、体調の回復を待って10月初めに行われました。胸部大動脈のステントグラフト内挿術という、カテーテルという管を下腹部の動脈から入れて亀裂に流れ込んだ血液の流れを本来の血管に戻すという手術でした。私がこうしているのも、無事手術が成功したおかげで、約2週間後退院できました。手術の時は、そんなに悲壮感はなかったですね。ま、死ぬんだったらそれはそれでしょうがないか、くらいの気持ちでしたね、マジで。それにしても人間の血管(特に動脈)って太いものなんですね。麻酔医のところに説明を受けに行ったとき、動脈ってどのくらいの太さ何ですか?と尋ねたら、傍らの水道のホースみたいな管をとって、このくらいですね、あなたはこの2倍くらいになっていますよ、と言われて仰天しました。普段は気にも留めなかったことでも、自分がその立場になってみて初めて分かることって多いですよね。

さてそんな訳で、長いお休みを経てまたショップを再開することになりました。体調はまだ万全とは言えないけれど、せっかく定期的に購入していただいているお客さまにこれ以上ご迷惑をお掛けするのが心苦しいのと、2,3日前から私自身が見ようとホームページを開いたら早速注文が何件か来たので、あれ、こんなに休んでいるのに見てくれる人がいるんだ!と意を強くしたのが、少し早めの再開になりました。一度はやめようかと思いかけたショップを再開できることの感謝を込めて、今年いっぱい全品(ギフトは除く)20%引きで年内営業いたします。

どうか、これからもよろしくお願いいたします。

私の仕事場-2

またまたご無沙汰してしまいました。店長日記くらいすぐ書けるだろうとお思いでしょうが、なんかわさわさ忙しいのですね。大した仕事もしていないのにどうしてだろうと思ったら、心当たりがありました。整理整頓ができていなく、出荷にとても時間がかかっていたのです。茶葉を入れる瓶、袋に貼るシールやお茶の説明書き、これらの整理から始めました。茶葉は、大量に売れるもの、嵩のはるものを分けて、瓶の中身の入れ替えをしました。これが一番大変だったなあ。当店のウリは、『注文を受けてからブレンドします』なので、一度に10個も注文が来た時などは、瓶を30個近く棚から探し、袋にシールを貼ります。空の瓶があるときは在庫から瓶に移し替え、足りないシールなどは、その場で印刷をします。何よりもお茶の瓶が見つからなくて出荷できないなんて情けないことがたびたびあり、とうとう重い腰をあげたのです。

そこで、整理したのが、下の写真です。1週間もすればぐしゃぐしゃになると思い、3日くらい前に撮影しました。真ん中の写真の低い方の棚は、上の箱を寄せて撮影ブースを置きます。

事務所棚  ダイソン  

右端のお豆の写真は、ダイソンのハンドクリーナーです。うすうす気が付いた方もいらっしゃると思いますが、私は形から入るタイプの人間なんですね。たかだか瓶と書類の整理を始めるにも、それなりのテンションが必要なんですよ。整理整頓が終わり、これで大量注文が来ても大丈夫と思ったら、ここのところ売り上げがショボショボです。万事うまくいかないものですね。ところで、前回掲載した『私の仕事場-1』の写真が正面だとすると、向正面が瓶の棚、窓側が書類の棚です。ついでにもう1面廊下側もあるのですが、ソファしかないので割愛です。

大事なことを書き忘れていました。瓶の棚は、普段大きな布で覆ってあります。直射日光はお茶の大敵です。みなさんもなるべく冷暗所で保管していただけるようお願いいたします。保存に関しては、『ハーブの保存法』を参考にしていただけば幸いです。

ながながと、お付き合いいただきありがとうございます。なかなかお客さまとコミュニケーションをとる機会がないので、せめてこんな感じでやっていますということを伝えたかったんです。

では、また。

同じ時代に生きること

一つ不覚をしました。店長日記は最低月2回書くことに決め、今年になってからはおおむね守ってきましたが、なぜか落ち着かない日々が続き、6月も半ばになってしまいました。しょうがない、今回はマイケルのことを書こう、(23番の方ではないですよ)なぜなら、6月25日が彼の命日だったからです。ただ、私は前もって原稿を書くことをしないので、25日に合わせて24日に書こうと決めました。マイケルのことだったら書くことは山ほどあるからネタには困らないしと油断していたら、今週はトラブルあり、めったにないことですが注文が山ほどあったり(といっても私のレベルですが)気が付いたら、25日があっという間に過ぎてしまいました。しょうがない、来年にしようかなと思いながらも、なんとなく踏ん切りがつかず、こうして書き始めてしまいました。『モータウンの25周年』、『ザ・ウィズ』、はじめて『BAD』を見たとこのカッコよさ。書きたいことは、いっぱいあるのになぁ。

                                   マイケル


昨日マイケルのことを書き始めたら、いろいろなエピソードが次々に浮かんでき、何を一番書きたかったのかはっきりしてきました。私はマイケルと同じ時代を生きられた幸せをみんなに伝えたかったんだと。『スリラー』『BAD』をはじめてクルマのカセットに入れた時、『ウイアーザワールド』を見るために急いで家に帰った日。その時、ああ、マイケルと同じ時代に生きて本当に幸せだなと思ったことを、亡くなった今つくづく思い出しています。

ジョルジュドンの最後の日本公演で踊った『ボレロ』。数々の舞台、芝居、ミュージカル、コンサート、後楽園の長嶋の最後の挨拶など、一生記憶に残るであろうシーンは、私だけでなく誰でも持っていると思います。そこに居合わせた人だけが共有できる空間ですね。演者、観客、スタッフが、同じ場所、時間、同じ空間を共有する幸福感です。いくら、今日都合が悪いから、明日行くと思っても、今日は戻ってきませんから。マイケルは、同じ空間は共有で来ませんでしたが、同じ時代を共有できました。1960年代から2000年代まで、この地球に同時に存在し同じ地球の空気を吸えたというだけで私は満足です。(表現にちょっと力が入りすぎかな)


人にとっては大したことでないと思いますが、オレは『Off The Wall』を発売日に買ったぜ、というのが大きな自慢です。もちろん、今でもこの人を見れるから、今の時代に生まれて、よかったという人は何人もいます。でも私にとってマイケルは特別なんだなぁ。マイケルがなくなった後で上映された最後の映画『This is it』 は、木場のイトーヨーカドーの小さな映画館で観ました。何とも複雑な気持ちで映画館を出ると、黒い腕章をした若者がいました。年代は違っても、彼もマイケルとともに生きてきたんだと思い、素直にうれしかったなあ。



大人のたしなみ

ストリートパフォーマンスで、箱の上に座って側面をポコポコ叩いている光景ってよく見ますよね。あの箱は、実はれっきとした楽器でカホンといいます。路上にドラムセットを持ち込むのは大変なんで、カホンで代用していることも多いんでしょうね。木の箱に穴(サウンドホール)をあけ、反対側の側面を叩きます。中に鈴や鉄線を仕込んだり、叩く場所によって音色が違ったりなかなか面白い楽器です。何しろカホンは、手軽です。ジャンベやコンガという本格的な民族打楽器もありますが、カホンはいわば木の箱ですからねえ。ミニカホンは30センチ四方くらいでもっと手軽ですし、トラベルカホンは厚さ10センチなので書類棚に差し込んで収納することもできます。いいでしょ、カホン。


カホン叩く    
トラベルカホン          

なぜこんなに情熱的に語っているのかといえば、実は私、カホンにはまっているのです。仕事中にかけているユーチューブの音楽チャンネルから、これだ!という曲が流れだすと、カホンをやおら取り出し、曲に合わせて軽くリズムをとりながら、だんだん調子に乗って裏のビートもちょっと入れ、次第に裕次郎が嵐を呼ぶごとく乱打しはじめ、最後には打楽器界の山下洋輔かと思うほど目にも見えないスピードで指と手を動かし、ダカダカダン、ジャンと終る。断っておきますが、私まったくの素人です。だから、演奏(?)は全くのでたらめで、そもそも最後の方は曲なんか関係なく、カホンの序破急ワンパターンなんですね。これが楽しい。タワーの上のネコも、目を細めて心なしか軽く首を振りながら、リズムをとっています。

これから楽器を始めたいという人にぜひ勧めたいですね。太鼓だったら、とりあえずは誰でも叩けますし、テクニックを覚えようとすると奥が深い。打楽器といっても、タンバリンやカスタネットじゃなんかかっこ悪いでしょ。まして、トライアングルじゃ、ストレス解消にならないですしね。その点、カホンはスタイリッシュだし、誰も見ていないところで叩く分には毎回一人大熱演できます。私の経験では、おじいちゃん、おばあちゃんに特にお勧めです。ちょっと貸すと、だいたいすぐに返してくれませんから。誕生日プレゼントなどに、カホン+ハーブティーなんて素敵ですね。

ここまで書いてきて、結局カホンって何と思っている方へとびっきりの演奏をご紹介します。長谷川きよしの『別れのサンバ』、超絶技巧のギターと、仙道さおりのカホンの共演です。カホンソロの場面は少ないですが、カッコよさは十分伝わると思います。それではこちらへ。 別れのサンバ(ユーチューブ)

車内アナウンス

『ガラケーガラケー、こちらガラケイ回収車です』というCMがよく流れていますよね。ネコが、軽トラに乗ってガラケーを回収する、いかにもオヤジっぽいちょっとだみ声のアレです。なんか聞いたことがある声だなぁと、思っていたら思い出しました。JR横浜線のある車掌さんにそっくりなんですね。7,8年くらい前、よく乗っていた横浜線に、ちょっとためを作って『くゎもいーくゎもいー、次は鴨井です』とアナウンスする車掌さんがいました。しゃべり終わると、見えを切るようにふっと息を吐き、遠くを見ているような。そんな車掌さん(あくまでも私のイメージです)が、いたんですね。運よくその車掌さんの電車に乗り合わせると、私は頭の中で女子高生のように、(うけるぅ〜)と言いながら、指を思い切り開き拍手していたものです。


車掌さんにまつわるネタをもうひとつ。地下鉄東西線を西船方面に向かうと、南砂町過ぎたあたりで地上に出ます。そこが鉄橋になっているので、なんかふわっと浮かび上がる感じです。ファイナルファンタジーで飛べるアイテムを手に入れ、ゆっくりと地面から離れていく感覚に似ているのですね。私が西葛西に住んでいたころは、建設中のスカイツリーが橋の上から見え、なかなかいい景色でしたね。ところで、ある年地上に出ようとしたところで、こんなアナウンスがありました。『みなさま、左手をご覧ください。ただいま、江東花火大会がおこなわれています。電車は、通常より若干ゆっくり走行しております』

        スカイツリー    スカイツリー(東西線から)



嘘だろうって、いや本当なんですよ。粋な車掌さんもいるもんですねぇ。われわれ乗客は左手の窓側により、スカイツリーをバックに荒川の上に咲く大輪に見入ったのでした。

では、また。

アウトレット商品売ります!

前からどうしようかなと思っていたことがようやく解決しました。というのは、当店では結構頻繁に商品写真を撮影していますが、大量にお茶が残ってしまうんですね。自分で飲むにも限界があり、しばらくダンボールに入れて置き、数か月後には物置に移動し、結局廃棄する羽目になっていました。もったいないと思いませんか。そこで、撮影した茶葉をきちんと商品パッケージにして売っちまおうというのが、今回の企画です。


注文を受けてからブレンドして売る、という当店のこだわりがありましたが、よく考えたらちっちぇなということですよね。欲しい方がいれば、喜んでお分けする、そして時間が経ったら処分する、それでいいかなと思ったわけです。いや、1か月経ったらさらに値引きして、それでも売れなかったら処分する、これでどうでしょうか。(たった今考えたことですが)1回の撮影で使うお茶は、嵩によって違いますが、大体30〜50グラム。商品にして、1個か2個です。不定期に出しますので、売り切れ御免でお願いします。アウトレット商品のサイドバナーをトップページに貼っておきますので、そちらからお求めください。また、会員専用ページですので、まだの方は入会してからご利用願います。

撮影2  

なんか物足りないので、おまけに私の撮影の道具をちょっと紹介します。左の写真は、いつもの撮影風景です。小さい撮影用ブースに直接ライトを当てています。写真を知っている方なら、ひどいねこれはとあきれるかもしれませんが、多少の色味や明暗はフォトショップでごまかしてます。隣の写真は、最近の秘密兵器です。商品写真を撮るには絶対的に光量が足りないのですが、LEDライトが何十個も付いたストロボまがいの照明をAmazonで見つけました。これには重宝しています。これで、プロカメラマンのように、音楽をかけながら、ディレクターチェアに座って構図を決め、飲みかけのハーブティーを傍らにおき、写真を撮っています。なんちゃってですが。

今ご用意できる商品は20くらいですが、随時変わりますので、たまにはアウトレット商品のページもご覧になってください。ページを開くIDやキーワードを忘れた方は、マイページへどうぞ。

私の好きなミュージカル

年の初めに今年は私のすべてを出し惜しみなく書きます、と宣言しましたが、ちょっとためらいがありました。というのは、まだみなさんにお話ししていませんでしたが、私は舞台演出の仕事を長年生業にしてきました。舞台は私にとって天職だと思っていましたので、思い入れが激しく辞めてからは誰にも話す気になれなかったのです。先日段ボールを整理していたら、大量のビデオとプレイビルが出てきて読み返しているうちに、あれから10年も経ったし、ま、いいかという気分になってきました。今回は、私の作った舞台というよりも、私の好きだった舞台、とりわけブロードウェイのミュージカルについて書きます。


今から20年ほど前は、私は毎年ニューヨークへ出掛けていました。滞在中の1週間に最低5本はミュージカルを見歩きました。勉強も兼ねていたのですが、本当にミュージカルが大好きだったのですね。本田美奈子の『ミスサイゴン』もよかったけれど、本場ブロードウェイの『ミスサイゴン』は別の作品と思えるほど迫力がありました。劇場そのものは、1000人以下の中ホールなのですが、美術に毎回感動していました。あるとき、通りがかりに建込中の劇場があったので、「私は日本の演出家です」と言ったら、丁寧に案内までつけて中を見せてもらいました。その時はびっくりしました。日本では、大道具を床(板)の上に組みますが、向こうは床そのものを作り変えてしますのですね。『オペラ座の怪人』で、床から何百本の火の着いたろうそくが上がってくるシーンは、その作品のために作ったセリです。また、『サンセットブルーバード』のようなゴージャスさは、日本ではまず作れないですね。プロセニアム(舞台の額縁)と床の制約がありますから。

クレイジーフォー・ユー  


タイトルに『私の好きなミュージカル』と書いてしまいましたが、とても1回では終わりそうもないと、書きながら思っています。とりあえず、1番衝撃を受けた舞台は?というと『クレイジーフォーユー』でしょうか。ガーシュインの音楽、スーザンストローマンの振り付け、もちろんダンサーたちの小気味いいタップダンス、すべてに魅了されました。特にラストナンバーのアイガットリズムは、本当に幸せな気分にしてくれました。今でも、三日月を見るたびにアイガットリズムのメロディーが心の中に蘇ってくるほどです。どこがそんなにいいの、と訊かれても答えようがないのですが、とにかく私の中ではNO1ミュージカルです。残念ながら、この作品はビデオもDVDも発売されていませんので、リバイバルがあるまでは幻です。雰囲気を味わいたい方は、ユーチューブの劇団四季のこちらをどうぞ。➡東京公演PV

書いているうちに色んな舞台が頭に浮かんできて、まとまりがつかなくなってきました。今度また、もうちょっと整理して続きを書きます。
では。

きみは、ネイガーを見たか。

早いもので、秋田に来てもう2年。なんかあっという間だなあ。はじめは、カルチャーショックを受けるようなこともたくさんあったけれど、今は大概のことは大丈夫です。と、油断していたら、最近強烈な秋田のヒーローを発見してしまいました。その名は、超神ネイガーです。どう例えればいいのかなあ、仮面ライダーの秋田版といったところでしょうかねえ。ローカル色満載の仲間とアイテムを駆使して、悪の権化だじゃく組合と戦うのが大体のストーリーです。


ネイガー2 ネイガー4 


だじゃく組合のホジナシ怪人たちが家の玄関のベルを鳴らしまくっていると、変身したアキタ・ケンこと超神ネイガーが現れ、『ピンポンダッシュはやめろ!』と戦いを挑みます。怪人たちは、明日の秋田をダメにするというスローガンの元、公園の水を流しっぱなしにしたり、ゴミの分別をしなかったりと、悪の限りを尽します。そのたびに超神ネイガーが現れ、秋田の平和を守るため、戦うのです。ネイガーは、キリタンソード(きりたんぽ型の剣)などを駆使し、悪人を追い詰めると、高らかに歌い上げる水木一郎のテーマソングをバックに、最後は比内鶏クラッシュを炸裂させとどめを刺します。戦いのテーマも、靴下は裏返しに履くな、とかきちんと手を洗おうなど、くすっと笑えるものばかりなんですよ。結構はまっていますね。演者のキャラづけが、一人ひとり作り込んでいてとてもセンスがあります。

ネイガーのイベントを仕切っている『蠕亀舛量J』のホームページに、写真の転載は固くお断りします。と書いてあったので、担当の早川さんに電話してみると、『いいですよ、全然』だって。秋田県人は、おおらかなんですよね。

ネイガー関係の動画をリンクしておきますので、みなさん暇があったらぜひ見てみてくださいね。

*ネイガー=『泣く子はいねーがー
参照 店長日記『なまはげの夜』

ネコのキャラ弁

こないだ、テレビでお母さんが反抗期の娘に嫌がらせキャラ弁を作った番組をやっていました。感動的でしたね。何よりも、ユーモアのセンスが素晴らしい。みなさん、ご覧になりました?お見逃しの方は、ユーチューブのこちらへどうぞ。

よし、じゃあオレも作ってみるか。と、思い立ったものの、作る相手がいません。夕飯は、この何年も自分で作っていますが、よく考えたら弁当すら一度も作ったことがありません。しょうがない、ノンスケに作るか、と思い作ったのがこの弁当です。

ノンスケ2 のんすけ3 

何に見えますか?そうです。TDLで燕尾服を着ているあの動物です。実を言うと、最初に作ったときびっくりするほどうまくできたんですね。それで、写真を撮ろうと思ったら、ノンスケが歩いて通り過ぎて(食べたのではなく)、ぐしゃぐしゃになってしまいました。そこで作り直したのが、上の写真です。キャラ弁初心者にしては、こんなものでしょうかねえ。

ところで、なんでノンスケなのかって、いうと、元々はノアという名前なんです。はじめて江戸川区葛西の自宅に来た時、クロネコだからフランス語でシャノワールにしよう!と言ったら、娘がそれじゃ喫茶店だから、ノアでいいよ、と言いノアと命名されました。以来、ノンちゃんと呼ばれるようになりましたが、2年前に秋田に来てから、ノンスケに呼び方が変わってしまいました。以前、店長日記『ネコの好きなハーブとは?』で紹介したら、よほど間抜けなネコだと思われたらしく、よく『なんか面白いことしました?』と聞かれます。そこで、ノンスケの名誉にために肉球コンテストの表彰状をご紹介しておきます。親ばかだって?そうじゃないんです。ノンスケは、私の兄貴分なんです。ネコの頭を背中越しに見ていると、なんか頼もしくて、アニキのように見えませんか。私だけなのかなあ。

ハーブと薬

お客様によくされる質問に、『このハーブは効きますか?』というのがあります。これが実に悩ましい質問なんですね。薬ではないので、病気を治すことはできませんと、答えます。なぜなら、ハーブは自己治癒力を高めて、自分自身で治そうとする力を引き出すものだからです。

では、薬は病気を治すのか?といったら、治ることもあるし、治らないこともある。としか、いいようがないですよね。100%治る抗がん剤が見つかったら、人類にとってこんな幸せなことはありません。このあたりが、難しいところです。でもハーブだって、何の効能もなかったら何千年も飲み続けられることはありません。2005年に薬事法が改正されて、ハーブを含む健康食品と薬の区別がはっきりし、効能をうたえるのは薬だけになりました。


    薬イメージ     VS   


ゆえに『アガリスクはガンの特効薬』などといった誇大広告もなくなりましたが、ハーブは食品になりました。食品といっても、肉や野菜を売るようなわけにはいきません。スイカを売るとき、てんぷらとの食い合わせに注意してくださいね、という八百屋はまずいませんが、妊婦のためのブレンドティーに流産の危険のあるハーブを混ぜることは命にかかわります。そのあたりの線引きは、法律で決めるものでもないんですね。どちらがいいかという問題ではなく、使い方が違うということなんでしょうね。薬は、一点集中で悪いところに効くような成分が入っているのに対し、ハーブは全身に作用します。いずれも長短あり、また目的に合った使い方を考えたほうがいいのかもしれません。

ハーブは、成分の量も少ないので、穏やかに効いてきますし、副作用もありません。何よりもおいしく楽しく飲むことができます。苦みがあったり、香りの強すぎるハーブがあっても、ブレンドして飲みやすくすることもできます。その点が、ハーブの魅力であり、薬と一番違うところだと、私は思います。

でも、日本では食品であっても、諸外国では薬と認められているハーブもいくつかあります。つまり、強い作用が出るものです。私たち売る側も気を付けなければいけませんね。また、ご購入の際に不安な方は、是非メールでお気軽に問い合わせください。もし、私で分からないようなことでも、調べて必ずお返事します。

では、また次回。

私の仕事場-1

昨日で、お客様の声キャンペーンが終わりました。たくさんお声を寄せていただいてありがとうございました。あまりの高評価に恐縮しています。ほめていただけると、やる気が倍増しますね。新しいおまけを考えようかなあ。


ところで、今回は私の仕事場です。むかし、妹尾河童が週刊誌で仕事場シリーズをやっていましたが、私は有名人でも何でもないので自分で自分の仕事場を紹介します。まずは、デスクまわりです。左の写真はプリンター2台とお茶の本です。ハーブ関係の本は全部で30冊くらいあるかなあ。最近は、本を調べることはめったになくなりましたけど。プリンターは、もしもの場合を想定して2台使っています。

仕事場2 椅子 

真ん中の写真は、作業をするデスクです。右のパソコンがメインの作業用で、左は、いつもアナリティクスかメールの画面を見ているパソコンです。外出時のお供もこのパソコンです。真ん中のモニターは、タブレットでいつもユーチューブの音楽チャンネルをかけています。右のパソコンにつないで、脇にあるJBLの小型スピーカーから音を出しています。普段はヒップホップミックスのチャンネルが多いですね。最近、miwaもよく聴きます。歌い方が颯爽としているので、元気が出てくるのですね。デスクの奥のほうにハードディスクやらDVDレコーダーやらが散乱しているので、整理したいところです。なにしろUSBと電源ケーブルが蜘蛛の巣のようになっていますから、厄介です。モニターを載せる10センチくらいの台を作ってその中に収めようと思っているのですが、なかなか時間がなくって。
右の写真は、今使っている椅子です。左から、作業用、読書用、ネットを見たりする普段用です。頻繁に気分転換が必要な男は、こんなところが困ったものです。2人用ですがソファとテーブルもあり、書類を入れるラック3台と大きめの本箱、冷蔵庫と狭い部屋に所狭しです。

今回は、仕事場を正面から見た写真でしたが、肝心の仕事場でなにをやっているのかも、おいおい紹介していくつもりです。(あまり不評でなければ)それでは、今回はこのくらいで。



ハワイに行ってきました!

長いお休みをいただきご迷惑をおかけしました。ショップを始めてはじめての休暇でしたが、とても充実した時間を満喫できました。


実は、3日間ハワイに行ってきました。はじめてのハワイでしたので、レンタカーを借りてオアフ島を一周したり、ロミロミに行ったり、地元の人が行くスーパーに行ったり欲張りに盛りだくさんの旅でした。サンセットビーチから見る夕日は圧巻でしたね。タイミングよく夕日が沈む時間に車で通りかかり、走りながら見ていました。エメラルドグリーンの海がキラキラと夕日を浴びてオレンジ色に染まり、驚くほど大きな太陽が水平線に沈んでいきます。まるで映画のような景色でした。ワイキキももちろんいいですが、東海岸を車で走ると本当に爽快です。日本で言ったら、134号線をもっとダイナミックにした感じです。カイルアビーチで降りて海辺を散歩しましたが、さらさらした白い砂が気持ちよかったですね。もしハワイに行かれることがあったら、レンタカーがおすすめです。日本で日常的に運転している方なら、10分もすれば慣れます。

もう一つ、珍しい体験をしてきました。射撃体験です。本物のピストルを撃ってみたいという好奇心に駆られ、とうとう撃っちまいました。オートマチックとレボルバー、ライフルで7発ずつ撃たせてもらいました。なんとそのうち14発が的に命中し、隣で教えてくれた黒人のインストラクターも『軍隊にいたのか?』と驚いていました。ちょっとした自慢話ネタですが、本物のピストルはズドンっときますよ。誰にでも勧められることではありませんが、私は面白かった。

カイロアビーチ ハワイスタバ 
                             カイルアビーチで                    ワイキキスタバで

というわけで、あっという間の3日間でした。

今日からは、仕事再開です。私だけ楽しんで申し訳ないので、埋め合わせになんかキャンペーンをやろうと思っています。1月20日くらいをめどに告知しますので、チェックしていただければと思います。それでは、また次回。

明けましておめでとうございます。

門松明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。


みなさん、お正月はいかがお過ごしですか。
私は、年末年始営業したせいか結構バタバタしたお正月でした。年末はさっぱりでしたが、年明け早々思ったより注文が多く嬉しい悲鳴です。

年末に1年を振り返ってみて一つ決心しました。

昨年の6月まで、店長日記を月2,3回のペースで更新していましが、新店長日記にしてから2か月で1回のペースにしました。その結果、日記を見てくれる人が10分の1位くらいに減ってしまったのですね。グーグルで調べてみて、えっ、そうだったのというのが実感です。

それで、今年は新店長日記を月2,3回は更新することを決めました。こうして書いておかないと決心が揺らぐかもしれないので、ここに宣言しておきます。だからどうした、とお思いの方も多いと思いますが、ハーブティーのことだけでなく、私の愛した舞台、音楽、ミュージカル、映画、小説など、出し惜しみなく書いていこうかなと思っています。

それと、もう一つお知らせです。1月8日から12日まで、お休みをいただきます。ちょっと、旅行に行ってきます。この期間も、メールや注文は受け付けますが、発送は1月13日以降になります。

大変ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。お休みの期間中のことは、次回の新店長日記で報告します。

今年も皆様にとって、幸多き年であることをお祈りいたします。

贈り物の季節です

またまた、大変ごぶさたです。みなさん、いかがお過ごしですか。
最近、めっきり日が短くなってきました。夕方になるとあっという間に暗くなってしまいます。
なんか、年の瀬を感じますね。年の瀬といえば、お歳暮、クリスマス…贈り物の季節です。
と、ちょっと強引ですが、今回はとっておきのギフト商品のご紹介です。

贈り物にお茶はね、と思っている方もいらっしゃるでしょうが、自分が飲んで嬉しいものは人にも勧めたくなるもの、
まして健康にもいいハーブは親しい方への贈り物には、最適です。
新商品は、とてもカラフルでギフトとしての魅力いっぱいです。
ちょっと人に自慢したくなるような商品に仕上がりました。

一番のウリは、パッケージにオリジナルのメッセージが入れられること。
感謝、挨拶、お世話になったお礼、プロポーズなんでも、OKです。

ギフト内箱 

もちろん、照れくさくてメッセージなんかという方はそのままでも結構です。
もう一つは、金箔入りのお茶です。悪趣味?そんなことはありません。
とても、ゴージャスで気品のある最高のプレゼントです。
何よりも、絶対どこにもないオリジナルの贈り物です。

金箔  

会員の方にはお知らせしましたが、12月7日まで予約特価で受付中です。
どちらも期間中500円引きです。
どちらも、果林会員のみのサービスですので、まだの方は入会手続きをしてからお申し込みください。
(Amazon、Yahoo!ショッピングでも販売しますが、メッセージ付はこのサイトのみです)

のし付、メッセージカードも入れてほしい、手提げ袋も必要など、
なるべくご要望にお応えしますので、備考欄にお書きください。
小回りの利く小さいネットショップならではのサービスを最大限にさせていただきます。

ご利用をお待ちしております。




くつろぎティー

みなさん、ごぶさたです。
だんだん秋らしい気候になってきましたね。秋田は、夕方以降はむしろ寒いといったほうがいい日も多くなってきました。
こんな季節にお勧めなのが、くつろぎティーです。レモンバーベナのきりっとした風味とマリーゴールド、カモミールジャーマンのまったり感がとても絶妙なんですね。少しだけ入れたペパーミントが、後味を軽くさわやかにしています。自分のところの商品を絶賛するのもなんですが、常に売り上げの上位を占めている人気ブレンドなんです。

ヘッダー 



おかげさまで、果林を始めてから1周年を迎えました。それを記念して、このページを見た人だけの特典として、くつろぎティーのサンプルを差し上げます。サンプルといっても、ポットで3回くらいはとれる量が入っていますのでお試しにはちょうどいい感じです。全員というわけにはいかないので、2000円以上お買い求めの方、9月いっぱいというくくりでお願いします。付け加えて、ポイントを持っている方はポイントを含めて2000円以上で大丈夫です。

ゆったりとハーブティーを飲みながら、音楽を聴く、読書をする、お友達と世間話をする、とてもいい季節です。ハーブは、気持ちを静め、そして元気を与えてくれます。そんなひとときに、ぜひくつろぎティーをどうぞ。

エルダーフラワーのコーディアル

今回は、エルダーフラワーのコーディアルの作り方を紹介します。

コーディアルとは、ハーブを砂糖に付け込んで作るシロップです。
今の時期にピッタリの甘くてフルーティーな飲み物です。

【材料】出来上がり200ml
エルダーフラワー 30g
グラニュー糖 100g
レモン1個
水 200ml

エルダーフラワーのコーディアル2 


1、鍋に水200mlを入れ火にかけ、沸騰したらエルダーを入れます。
2、少し火を弱めて煮てから、蓋をして5分ほど蒸します。
3、茶こしでこして別の鍋に入れ、グラニュー糖を入れとろ火で煮ます。
4、レモンを絞って入れ、火を止めてから冷まします。
5、保存容器に移して完成です。

エルダーフラワーのコーディアル4 

水や炭酸に割るときは、5:1くらいがちょうどいい感じです。
温かいハーブティーや紅茶に入れてもおいしくいただけます。
シロップとして、かき氷にかけるのもありです。

マスカットのような甘い香りが幸せな気分にしてくれます。
簡単に作れますので、ぜひどうぞ。

ルイボスティー

みなさん、お久しぶりです。

店長の日沼です。


今回はこの季節にピッタリのルイボスティーを紹介します。


ルイボスティーは、南アフリカで古くから『不老長寿の薬』として

親しまれている日常茶です。

抗酸化成分として知られるフラボノイドが豊富で、

老化の原因とされる活性酸素を取り除く作用にすぐれているといわれています。

つまり、これからの季節、シミやしわといった肌の悩みを

からだの中から解決しようと働きかけてくれるお茶なのです。


ルイボス



夏はアイスで、冬はホットで、気分に合わせてレモンやはちみつ、ミルクなど

クセがなくなんにでも合うのかルイボスティーです。

カフェインが入っていないので、妊婦さん、子どもにも安心。

お父さんには焼酎のルイボス割りなどいかがですか。


夏バテ防止にルイボスティーを持って出かけましょう。