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銅メダル

平昌オリンピックの幕が下りました。今回はメダルを量産し、日本勢は頑張りました。今朝のニュースは、凱旋帰国した選手たちの晴れやかな顔であふれています。私が特に応援したのは、銅メダルを取った女子カーリングです。韓国戦、英国戦はTVにくぎ付けになりました。4人娘(マリリンも入れて5人か)の笑顔あるれるプレーは、見るものを元気にしてくれます。関係ないけど、ユニホーム姿、化粧も私好みです。ストーンをリリースするときの真剣な表情、健気にモップ(のようなもの)をこするたくましさ、成功しても失敗しても笑顔でハイタッチ、いいですね、カー娘。何よりも、明るいのがいい。ひたむきだが、悲壮感がない。そんなとき、ふと時代は変わったものだなあと思ってしまいます。


円谷選手 


1964年、東京で初めてのオリンピックが開催されました。その頃の選手たちは、日本を背負い、名誉のために戦っていました。開会式の入場行進をみれば、その覚悟が見えるでしょう。わき目もふらず手を大きく振りながら、軍隊のように前しか見ていません。マラソンで、アベベの次に競技場に入ってきた円谷幸吉選手は、男なら後ろを振り返るなという父親の教えをまもり、振り返ることもなく次の選手に抜かれ、銅メダルに終わりました。そのメダルの重圧に耐えることができず、自らの命を絶ってしまったのです。その円谷選手の遺書には、父、母、兄弟への食べ物へのお礼が綴られています。『とろろ美味しゅうございました』『お寿司、もち、柿、ぶどう酒、リンゴ…美味しゅうございました』何度も何度も、お兄様、お姉さま、美味しゅうございましたと、繰り返し書き連ねています。『父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい』


円谷選手


この若者がただ純粋だったのか、当時の日本が成熟していなく選手をとり囲む環境が過酷だったのか、私にはわかりません。私は、カー娘の活躍に一喜一憂するのと同時に、円谷選手の心情にも共感できるのですね。セピア色の記憶の中に、日本人としての遺伝子のようなものが受け継がれているからなのでしょうか。


休憩時間にイチゴを食べながら、コーチも先輩後輩も関係なく『そだねー』と作戦を立てているカー娘たちの屈託のない笑顔を見ていると、時代は変わったねと思わざるをえません。選手たちの教育や育った環境が変わったのか、それとも私たち見る側の人間が大人になったのか。でも、日本の代表として、その場に来られなかった仲間のことを思い、故郷の応援する人を背負って戦う選手の姿は、今も昔も変わりません。ここ数年、世界一の実力がありながら、今回初めて銅メダルを手にし、涙している高梨沙羅選手を見ていると、メダルの色なんて関係ないんだあと思います。努力も実力も運もすべて持ち合わせた人が、手に入れることのできる栄冠なんですね。


次は、いよいよ東京です。さて、どんなドラマが待っているか、楽しみです。



参照 ジェルソミーナ(ソチ五輪)


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